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2011. 11. 27  
 特急 ロマンスカー 三

 幼児旅客

 幼児は、満1歳以上、満6歳未満をいいます。幼児だけで電車に乗るときには、小児運賃を支払わなければなりません。さらに特急に乗れば、小児の特急料金が必要になります。
 だだ、現実には単独で乗車することは、ありえないので、あまり知られていないようです。

 ところが、この幼児が、運賃を払って乗車券を持っている、大人や小児に連れられて乗車すると、大人や小児一人について、二人まで無料なのです。それで一般車に乗車する場合、幼児は切符がいらないのです。
 もちろん座席を、使用することもできます。

 ところが、特急のように座席指定の列車に幼児が乗車して、座席を使用する場合は、小児用の乗車券と特急券が必要です。

 観光シーズンになると、お客さんが利用しやすい時間帯に、走る列車は定員一杯で走ります。
 このときに、特急と、一般車を混同して、何もも持たない幼児が、座席を占有していて、その座席番号を持っている、お客さんとの間で、トラブルが発生します。

 この場合、この幼児を連れて来た親に、座席を空けて、切符を持っているお客さんに席を譲ってもらいます。
 だが、この車両には、立席などないので、幼児は親と一緒に座ってもらうことに、なってしまいました。

 幼児でも、入学前になると体も大きく、一方座席は親子で座ることが出来るように、大きく作られていないので、子供は親の傍を離れて、通路で遊ぶようにもなり、通路を通る人にとって、邪魔にもなり、危険でした。

  重複発売

 特急列車の座席は、センターで管理していました。駅などへお客さんが買に来ると、駅では、センターに電話して、番号を分けてもらい、その番号を特急券に記入して、発売していました。

 センターではこのようにして、売れた座席は台帳から消していき、同じ席は二枚売らないように、していたのですが、いざその列車の、お客さんが乗って来ると、なぜか同じ席が、二枚売られていたことがあり、それが満員になるか、それに近い列車で、しばしば発生しました。

 電話での聞き違い、言い違い、切符への書き違いの、どれかが、どこかでいとき起きてしまったのでしょう。
んがえ
 重複発売が予想される、列車の発車前にはセンターの職員が、台帳を持って、乗車開始と共に車内に乗り込み、発見したり、お客さんから申告があったときに、その整理にあたっていました。
 うまく空席が見つかってときは、そこに座ってもらいましたが、どうしてもないときには、特急券の裏面にその旨記載し、降車駅で特急料金を、払い戻しました。

 センターの職員が、出場して来ないとき、上り列車は、この仕事を車掌が、しなければならないので、自分が原因を作ったわけでもないのに、お客さんの苦情を聞き、ひたすら謝るだけの、いやな仕事でした。

 空席の発売

 あるとき、お客さんからこんな苦情がでたそうです。それも一人だけでなく、大勢から。
 それは、特急券を買いにいったとき、満員だといわれた列車が、発車して行く車内を見ると、空席があるのはどうしてだと、よくいわれることでした。

 その原因として考えられることは、なにかの都合で、折角買った特急券が不要になったが、これを払戻ししなかったので、特急券を発売する駅では、空席になっていないので、発車するまで、解らないのでした。
 また 払戻しは、発車二時間前までなので、それ以後に取りやめた人の、特急券も、同じでした。

 乗車を希望する、お客さんの前を、空席を走らすのは、もったいないということで、乗車するときの、特急券の改札時に、その数も調べて、定員との差だけ、希望者を乗車させることになりました。

 その方法は、目的地までの乗車券を、持っていることを条件に、発車直前に余裕があれは、駅の職員がその乗客から乗車券を回収し、裏面にその乗客の名前を記入し、発車時に車掌に渡しました。

 車掌は、出発監視が終わると、車内に入り、最後に乗った特急券を持っていない、お客さん達のために、空席を捜してそこに座ってもらい、乗車券を返して、特急券を発行して、特急料金を支払ってもらいました。

 この方法は、お客さんに喜ばれ、会社も空席を走らせずに済むので、よかったのです。しかし別の問題が発生しました。センターから発券台帳が来ないので、売れ残った空席か、売れたがお客さんが、乗車しなかた空席か、わかりませんでした。

 その席へお客さんを座らせて、特急料金を支払ってもらっていると、隣に座っているお客さんが、懐から特急券を取出しました。それも二枚でした。そして、
 「この特急券の座席番号をよく見てくれ。一枚は私の座っている席だ、もう一枚はいまあなたが、この人を座らせ、切符を切った席だ。ここに来る予定の私の友人は、遅れるので必要がなくなったので、払戻しを頼んだら、発車二時間前を、過ぎているので、出来ないといわれたんだ」といいました。
 
 この特急券の座席番号を確認すると、このお客さんのいう通り、座席番号と座っている席は、同じでした。
 あきらかに、このとき、一つの座席を二人のお客さんに、売ったのでした。
 払戻しの、申出でが、発車二時間前を過ぎていたから、出来ないという、きまりを理由に、スッキリしない取扱いでした。

 一部区間運休

 夏の休日の午後、夕立が降り、雷が鳴り、湯本変電所に落雷しました。
 それで、小田原ー箱根湯本間は停電になり、この区間では、どの電車も動くことが出来なくなりました。

 箱根湯本から新宿に向かう、特急も足止めされました。次の箱根湯本に向かっていた特急は小田原で足止めされました。

 小田原では、箱根湯本から新宿行の特急が来ないことが、解ったので、後の特急が停電で箱根湯本に行かれないので、ここで運転を打切り、箱根湯本から来ない、特急の代わりに、新宿へ向かわせました。

 夕立が止み、太陽が雲の間から、顔を出すと、変電所の故障も復旧し、送電が開始されました。電車が動けるようになりました。
 
 箱根湯本で足止めさせられていた特急も、三十分遅れて動きだしました。ところがここで問題が発生しました。
 三十分遅れると、次の特急、このときは、小田原から箱根湯本に来ないで、新宿に戻ってしまった特急の、発車時間でした。

 この二つの特急のお客さんを、乗せることになってしまったのです。あとの特急のお客さんが乗って来ると、あちこちで、一つの座席にお客さんは二人という、現象が生じました。
 こうなると、指定席でなく空いている座席に、座ってもらうことにしました。

 このうえ、小田原で乗って来た、お客さんは、座席をすでに塞がっていて、新宿まで床に座っているか、立ったままで乗り通すしかありませんでした。

 こっちもこうなると、度胸が据わって、車内に入ると、各車両ごとに、夕立による落雷で停電して、ダイヤが混乱し、特急券を持っていても、座ることができないという、事態を生じてしまい申訳いと謝り、座れなかったお客さんは、その旨特急券の裏面に証明をするから、新宿に着いたら、特急料金を払戻して貰って下さいと、いって勘弁してもらいました。

 払戻しの件は、小田原停車中に、小田原駅で、新宿に依頼するように頼みました。
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2011. 11. 26  
 特急 ロマンスカー 二

 外国人観光客 その二

 これは平日の上りの特急での出来ごとでした。
 小田原を出たこの特急には、お客さんは定員の30%位しか、乗っていませんでした。後ろの運転室から車内を見ると、車内は静かでした。今日もいつもの平日と同じように、途中何事もなく、新宿に着くだろうと思いながら、車内に入って行きました。
 最初に入った、最後部の車内は見ていたので、様子は解っていました。次の車内も、次に車内も同じように静かでした。
 
 ところが、前から三両目に入ると、車内の中央で、二十人ばかりの外国人観光客が、騒いでいました。
 彼等は小田原から、乗ったのでした。

 立っている人も座席に座っている人も、大きな声で話しているのですが、外国語なので、なにをいっているのか、解りませんでした。
 近付いて行くと、立っている一人が、乗車券と特急券を差し出して見せました。それで、多分座席が解らないのだろうと判断しました。車両に座席番号は、劇場のように座席に直接書いてなく、窓上に書いてあったので、そのことだろう思いました。
 
 次に思い浮かんだのは、同じ座席が二枚売られている重複発売でした。これは一枚々々調べなければ、解りません。それで、順番に声をかけて、彼等が持っている特急券を、見せてもらうことにしました。
 「Plese show me your ticket.Sir.(お客さん、あなたの切符を見せて下さい)」といって見せてもらい、
立っている人は座ってもらい、違っている人は移動して、座ってもらいました。

 数字は万国共通なにで、特急券に書いてある座席番号は理解していましたが、車両に書いてあるところが、窓上なので、解らなかった人もいたようでした。

 外国人観光客が全部座ると、騒ぎの原因が解りました。
 彼等が小田原から乗って来たとき、彼等の席に二人の日本人の若い男女が座っていたのでした。
 この二人が持っていた特急券に書いてあった座席番号は、座っていた座席とは違っていました。この座席は外国人観光客の持っていた特急券に書いてありました。

 この二人に、自分の持っている特急券に書いてある、座席番号の座席に移動して貰い、そこに外国人観光客を座らせ一件落着しましたが。
 この二人は、別れてしまいました。それでもう乗ってくるお客さんはいないので、空いている席ならどこでも、どうぞ、お使い下さいと、いいました。
2011. 11. 25  
 特急 ロマンスカー 一

 外国人観光客 その一

 世界でも名高い観光地、伊豆箱根に行くお客さんを、運ぶのが目的で走っている、特急ですから、日本に訪れた、外国人の観光客も乗って来ます。

 特急は有料で、座席は指定されています。お客さんが駅や、案内所に、この特急券を買いに来ると、そこではその都度センターのに座席の有無を、問い合わせ、座席番号を指定して貰って、発売していました。

 同じ座席を、二枚売らないように、センターで管理していました。ただ発売枚数の多いところには、事前に割当て、それを最初に発売させて、いました。

 交通公社にも、事前に割当てられていて、外国人観光客は交通公社で、この特急券を入手して乗車して来ました。交通公社に割当てられた座席は、どういうわけか下り列車では最後部、上り列車では最前部になる、八号車でした。

 ある冬の平日、明けダイヤで、朝食を済ますと、これから特急で箱根湯本まで、一往復が今日の残りの仕事です。
 この日は快晴でした。雲一つなく青く澄も渡っていました。こんな日は車窓から眺める、雪をかぶった富士山の姿は、すばらしいです。平日だから混んでも、特急のお客さんは、定員の半分くらいだろうと、思いながら回送で新宿に向かいました。

 新宿で乗車が始まると、最後部の八号車に、外国人の年配の夫婦らしい人達が、乗り込んで来ました。

 新宿を発車し、出発監視を終え、車内に入って行くと、やはり乗っているお客さんは、あまり乗っていませんでした。改めて発車の時に駅から、手渡されたメモを見ると、定員に満たない数字が、書いてありました。
 最前部の様子も、いままで歩いて来た車両と、同じように、乗っているお客さんは少なく、運転士のすぐ後ろには誰もいませんでした。

 空の様子は、電車が走り場所が変わっても、同じで、雲一つない青空が、どこまでも続いていました。

 秦野隧道を出ると、右に大きく曲がりながら、緩い勾配を上ってゆき、やがて大秦野を通過します。

 そこで車内に入り、目の前の八号車に乗っている、外国人の夫婦に声を掛けました。
 「Please come with me.」(いっしょに来て下さい)というと、二人は怪訝な顔をして、付いてきました。

 車内を先頭に立ってドンドン歩いて行きました。時々後ろを見て二人が付いてくるのを、確認しながら、最前部一号車に入ると、乗降口で脇によけて、二人に先をゆずりました。

 二人の正面には、運転士室の窓のガラス越しに、大写しになった、真っ白に雪を冠った富士山が、目に入ったのでした。
 そして、二人はその富士山の雄姿に、引寄せられるかのように、運転士の後ろのガラス窓まで、歩いていきました。その二人に後ろから、空いている席を指差して、
 「Please you may sit down here.」(どうぞ、ここへ、お座り下さい)といって、彼等と一緒に富士山を眺めていました。

 このような天気の良い日、この区間での上り列車は、車掌にとっては、富士山を眺める特等席です。
 後ろを見ると真正面に、富士山がそびえ立ち、だんだん遠ざかって行くのです。その姿が見えなくなるまで、眺めていました。
 


 
2011. 11. 24  
 富士山

 下り列車の車窓から富士が見えるところを、列挙しました。四季折々、変わる姿を眺めると、疲れが飛んで行ってしまいました。

 1.成城学園前ー喜多見 間
 
 電車は経堂を出ると、直線区間に入り、四駅先の喜多見の先まで、約5キロの直線が続くので、わします
この区間で、どこも止まらない特急や、急行は持っている力を出し切って、最大の速度で走ります。
 
 下り列車は、成城を通過すると、いままで走って来た台地から、平地へ下り勾配を、駆け下ります。
 このとき前方正面に、富士山が、姿を表します。

 2.座間ー海老名 間

 電車が、切り通しを出ると、右側の車窓に、いつのまにか、姿を現していました。先程より近くなったので、その姿も、大きくなっていました。

 3.大秦野ー渋沢 間

 大秦野を出て、左に小さく曲がり、線路脇の人家や小さな森が無くなると、電車の周りは畑だけになり、その左正面に、姿を現します。
 電車が走り続けて行くとさらに左に曲がり始めます。すると富士山はだんだんと右に、廻って来て電車の正面に来て止まります。大きくなり、周囲には一段低く鳴った山々を従えた姿に圧倒されながら、電車はその姿に向かって、さらに進んで行きます。

 やがて電車が右に曲がりだすと、また左側に移ってきて、やがて周りの山の後ろに隠れてしまいます。

 4.渋沢ー新松田ーそしてその先 蛍田の先まで

 渋沢を出て、四十八瀬川の谷間を走り、周囲が開けてくると、また正面に現われてきます。近くなったので、先程より、一段と大きな姿です。
 電車は新松田を過ぎ、酒匂川を渡り左に大きく曲がると、右側の車窓に移って来て、いつまでも付いてきます。
 蛍田をすぎ、狩川を渡り、切通しまで、ついてきます。
 
2011. 11. 23  
 急病人 二

 今日は花見帰りの酔客の話です。

 会社に入って、最初の一ヶ月間、新入社員は自分達が就業する職場が、まだ決まらず、教習所に集められ、会社の幹部が、講師となって、会社のこと、仕事のことなどの、話を聞かされます。
 学校の延長です。ただ学校と違うところは、お金が貰えるということです。会社にとってはもう立派な労働力なのです。

 この期間中に、桜の花が満開になるので、花の名所には、日曜日ともなると、お客さんが大勢やって来ます。
 そのお客さんの、応対や整理に新入社員も、花の名所の最寄駅に、駆り出されました。

 朝九時に、指定された駅に出勤すると、そこの駅長から、当日一緒に仕事をする職員を紹介され、それぞれの指示に従って、いわれた仕事をするように、話がありました。そして、最初に自分の体は自分で守ること。それが出来ないなら、お客さんの、体を守ることなど、出来ないともいわれました。

 左の腕には、白地に黒で太く『新入社員』と書いた腕章を、付けさせられました。

 最初に新入社員与えられた仕事は、横断場を電車が通過するときに、先輩社員と一緒になって、お客さんが通行しないように規制すること、改札口で降りて来たお客さんから、切符を受け取ること、箒とちり取りを持って、ホームや通路を、清掃することなどでした。

 われわれ、新入社員に一番人気があったのは、鉄道員になったと実感できる、改札口での集札でした。
 そこで、時間を決めて交代で、順番にこれらの仕事、せれられました。

 横断場でお客さんを、規制する仕事は、電車に気を取られていると、お客さんを忘れ、またその逆のことも、あって、一緒に仕事をしている、先輩社員から、再三注意を受け、今朝いわれた駅長のことばの意味が、理解できました。

 お昼近くなると電車から降りて来る、お客さんも少なくなり、新入社員達は、一ヶ所に集められ、先輩の職員から、めいめいに、改札鋏と使用済の切符数枚が渡され、
 「切ってみてごらん」といわれました。

 みんなうれしくなりました。この切符を切る仕事は、ホームで赤旗を絞って上げるのと、同じように鉄道員のシンボルなのです。この仕事をしたために、なった人もいたくらいですから。

 よころが始めてみると、普段横目で見ていて、簡単に見えた仕事が全く出来ませんでした。原因は紙を切る鋏のように、指を掛けるところがないのです。それでもどうやら一枚切ると、それを見ていた職員が、
 「駅に配属される人はその日から、改札口で切符を切ることに、なるだろうから、ここにいらなくなった切符があるから、これを使っていいから、練習するように、そして、午後一時まで休憩にするから、その間に食事をするように」といい、

 さらに幅の狭い薄い紙の切符を出して、
 「これは、回数券だが、そっちの切符が、うまく切れるようになったら、これをやってみたら」といって、でて行きました。

 みんななかなかうまく行きません、なかには指を挟む者も出て来ました。そこに通りかかった若い職員が、
 「チョット鋏をかしてくれ」といって、鋏を借りると、そこにあった切符を持って、切ってみせました。そして鋏の持ち方、切符の持ち方を教えてくれました。

 改札鋏も、紙を切る鋏も指の使い方は同じです。ただ人差し指を遊ばせないで、鋏に添えていると、鋏に挟まれ、痛い思いをして血豆を作ってしまいます。

 一方切符の方は、何も書いてない所に、鋏をいれるようにと、いいいました。それでないと、場合によっては、文字が無くなっていて、あとで、お客さんや駅に職員が困ることが、出てくるかも知れないので、ともいいました。最後に彼は昨年入社した、一年生で、先輩と同じようにうまく切ることが、できるようになるまでには、時間がかかったといって、自分の仕事に戻っていきました。

 午後になると、帰って行くお客さんが、だんだん増えてきました。花見帰りなので、酔っ払いも大勢います。新入社員のなかで、箒とちり取りを持って掃除をしていた、数人に召集がかかりました。

 先程の改札鋏の扱い方を教えてくれた、若い職員に連れられて、駅の裏にいきました。そこでちり取りにおが屑を入れると、それと箒を持って、後に付いて来るようにいわれました。
 後に付いて行くと、ホームの上に、嘔吐物が散乱していました。花見帰りの酔っ払いのしわざです。

 これを片付けるのです。異臭もするので顔をそむけていると、連れて来た若い職員は、付いて来た新入社員に向かって、
 「この上におが屑を蒔いてかぶせてしまってくれ。そして、箒で汚物とおが屑を一緒にして、ちり取りに入れてしまうように」といい、彼はその場を去って行きました。

 新入社員達は、顔をそむけながら、いわれたように、汚物におが屑をかぶせで、ちり取りに箒で掃き込みました。そこへ、若い職員が、水の入ったバケツを両手にもって、やってきました。
 そして、汚物が無くなったホームに、その水を流して、箒でホームを洗いました。

 それから彼は、バケツと箒と、汚物の入ったちり取りを、新入社員達の持たせて、また付いて来るようにいいました。バケツは駅舎の裏の井戸端に置き、箒は物置に入れ、汚物はゴミ穴に処分してから、井戸で洗って干して置くように言いつけて、終わったらホームにくるようにいって、立ち去りました。

 車掌になってから車内に放置された、汚物の処理は、発見するとその先で、停車時間のある駅に、汚物のある車両の位置を連絡し、おが屑を入れたちり取りと、箒を持って出場するように、依頼しそれまでは、新聞紙をかぶせて、お客さんの目に、入らないようにしました。

 汚物のことを、隠語で「おみやげ」とか、商売柄「払い戻し」とか、いっていました。

 このころになると、ホームは帰るお客さんで、一杯になって来ます。入って来る電車の運転士は、危険を察知し、警笛を鳴らして入って来ます。ドアが開くと、お客さんが殺到して、転んで怪我をする人がないように、誘導する仕事をやることになりました。

 電車が出ていくと、ホームは空になりました。ふと見ると女の人が、ホームにしゃがみ込んでいました。どうしたのだろうと傍に寄ると、酒臭い息を吹きかけられました。
 酔いつぶれているようです。ベンチに座らせようと、後ろから抱き抱えると、ワンピースでなかったので、お中が出そうにになり、慌てて応援を呼んで、酔って体に力が入っていないので、三人で連れて行き、ベンチに寝かせました。
 
 
2011. 11. 22  
 急病人 一 

 平日の午後、準急江ノ島行に乗務していました。向ヶ丘を発車すると、ここからは、駅間が長くなり、閉塞区間も長くなります。このときは、遅れ気味で走っていました。
柿生で特急の待避をするので、このまま行くと自分の持っている遅れが、後続の特急に影響し、こっちが待避後の発車も遅れてしまうのではないか、

するとその後に来る急行にも影響し、相模大野でその急行を待って、急行からの乗換客を乗車させるので、江ノ島線には遅れて入っていくのでは、ないのだろうかと、そんな心配をしているうちに、待避駅柿生の一つ手前の百合ヶ丘に着きました。

 ドアを開けてホームに降りて、お客さんの乗り降りを見ていると、前のほうで手招きをしている、お客さんがいました。特急が後ろに迫って来ているような気がするので、電車を出発させたいのですが、なんの用だろうと、そのドアのところに走って行きました。

 そのドアにたどり着くと、手招きした乗客が車内を指差しました。そのほうを見ると、一人の女性が床に座っていて、顔色も悪く正常な状態ではないと、判断しました。すぐにでま医者に診せたほうが、よいだろうと判断し駅の職員を呼んで後事を依頼しようと、思いました。

 しかし駅に連絡する、簡単な方法は警笛を数回鳴らすことです。駅の職員がこれを、聞き付けて、すぐに来てくれれはいいのですが、聞きそこなったり、聞こえても直ぐに動ける、状態でなかったりすると、待たされるだけで、時間ばかり浪費してしまいます。

 後続の特急は、だんだん近付いて来ているようなので、早く発車させねばなりません。
 それで、この女性を抱き上げで、駅に事務室に連れて行くことにしました。

 駅の事務室は、ホームの上にあります。この女性を抱いて、駅の事務室へ行く階段を、駆け上がって行きました。駅の事務室に入ると、
 「急病人です。寝室はどこ」といって、駅の職員が指差す方向をみて、抱いていた女性を、寝室の畳の上に寝かせると、
 「あとは、よろしく」といって、階段を駆け下り、電車を発車させました。

 後ろを見ると、特急の姿が見えていました。

 後日、非公式に、小さな駅は近隣に医者がいないので、急病人を電車から降ろす場合は、駅を選んだほうがよいという、話がありました。



2011. 11. 21  
 マルの話 三

 ここで、話は、脱線します。
 車掌が取扱う機器の一つに、ヒーター(電気暖房器)がありました。このスイッチが、車形によりまちまちでした。一ヶ所のスイッチで,隣の運転台のない車両を含め、二両の操作ができました。
 なかには、自車一両しか操作できない車両もありました。この電車だけで、六両編成を組むと、運転途中の停車駅の停車時間では、操作できないので、お客さんから苦情が出て、点呼時の注意事項になりました。

 それは、寒い冬の朝、出発するときは、早くからスイッチを入れて、温めておくことはできないので、予熱時間が制約されて、十分室温が上昇しないうちに、営業を始めます。
 車両によっては、隙間風が入ってきて、ヒーターの直近しか温かくないのです。

 それが,駅に停まるたびに、お客さんがドンドン乗って来て、お客さんの体温で、車内の温度は上昇していきます。そして、終点に着く前に、ヒーターは不要になってしまいます。

 これ以上ヒーターを使用していると、お客さんが降りた駅の職員は、お客さんから、車内が暑すぎるという、苦情をいわれます。

 担当している車掌は、途中の停車駅で、短い停車時間内で、中間につながれた車両のヒーターのスイッチを、切るために、走ることのなります。

 たまたま、停車駅に待避列車がいれば、その担当車掌がいるので、彼にこの仕事を頼んだりしました。

  
  もうひとつ、マルの話

 いままでは、マルにしてもらった話でしたが。
 今度はマルにした話です。

 新宿から、向ヶ丘遊園行の最終電車に乗務して、向ヶ丘に到着後、お客さんが全員降車するのを待って、上り線に転線して、上り最終電車経堂行となって、発車時間になるのを、待っていました。
 この電車に経堂まで乗務して、入庫させれば、今夜の仕事は終わり、寝ることが出来るのです。

 ここ向ヶ丘に到着してから、入換信号機の現示と転轍機の転換のよって、下り線から上り線の転線して来たのですが、この信号機と転轍機の操作は、この向ヶ丘の信号所で操作していました。

 ところが、発車時間が過ぎても、出発信号機の現示は、『赤』のままでした。
 
 数分たったので、信号所に発車時間が過ぎたので、催促にいこうと信号所に向かって歩き出しました。
 途中まで来ると、踏切の警報機が鳴りだしました。踏切の遮断機が下りると、出発信号機の現示が、『青』に変わるので、電車に戻り、現示の変更を待ちました。

 信号機の灯火の色が、『青』になったのを確認して、電車を発車させました。時計を見ると5分の延発でした。
 
 成城学園前に着くと、ここの信号掛が、待っていて、
 「向ヶ丘では、すいませんでした」と、いいました。ここの信号所は、上り列車の場合、運転士より車掌に近いところにあるので、こっちの声を掛けたのでしょう。

 「わかりました。運転士に話はしておくが、も直に話したほうが、いいと思うよ」といって、電車を発車させました。

 次の祖師ヶ谷大蔵に着くと、前の方に人影が見えました。運転士のところで駅の職員が、何か話ているようです。この駅の事務室は、電車が止まったとき、車掌が立つ位置の近くにあり、よく両替など頼んだのでした。

 ドアを閉めるのを待っていると、ブザーが鳴ったので、ドアを閉めて電車は発車しました。

 経堂へ着くと、運転士の事務所は後ろのほうに、車掌の事務所は前のほうにあるので、ホームの真ん中で顔を合わせると、どちらからともなく、お互いに、
 「マル」といって、別れました。




 

  
2011. 11. 20  
 マルの話 二

 電車は、夜走るとき、トンネルを通過するときに、客室内には電灯を点灯します。
 この電灯の点滅は、何両つないでいても、新宿寄りの運転台一ヶ所のスイッチで出来ました。

 だからこの室内灯の操作は、下り列車にあっては車掌が、上り列車では運転士が扱うということに、決められていました。
 夜間になると、客室灯は点灯したままで、あまり問題は起きないのですが、昼間は、トンネル通過のたびに、点滅させました。

 新宿から下り列車に乗り鶴川を過ぎると、次の玉川学園前の間に、トンネルがあります。急行は、四駅手前の向ヶ丘を発車すると、二駅先の新原町田まで、通過運転をします。それで向ヶ丘を出ると、客室灯を点灯してから、車内に入って行くと、トンネルに近付いたとき、戻らずに済みます。

 このときは、平日の夕方でした。新宿から急行で下って来ると、向ヶ丘で相模大野まで便乗させて欲しいと、車掌が一人乗って来ました。
 彼は数ヶ月前に、車掌の辞令を貰ったばかりでした。

 車内は、帰宅する学生で混んでいたので、車内に入ることは止めて、通過監視をするために運転台の左側にいました。便乗している車掌は右側にいて、二人共小窓を開けて、入って来る風に吹かれていました。

 鶴川を通過して、左に大きく曲がり、上り勾配が続きます。両側共少し畑があって、その先は山です。
 この勾配を上り終わり、少し右に曲がると、トンネルに入ります。
 この長い上り勾配を、上り終わる前で、室内灯を点灯します。そろそろ点灯しようかなと、思っていると、電車が止まりました。

 小窓を明けていたので、見るとなしに左の前方は見ていました。こんなところは畑と山ばかり人家はありません。急停車で無かったので、前途に支障があって、運転士が止めたとも、思えませんでした。
 事実、前方を見ると運転士も、小窓から顔を出して、怪訝そうな顔をして、後ろを見ていました。どうもこちらに、止まった原因がありそうです。

 止まったところが、トンネルの直前なの、電車が原因不明で止まったので、客室内の室内灯の点灯を、忘れていました。それでスイッチを操作して、点灯しました。そのスイッチには、『一斉点滅』と書いてありました。

 それでその他の、スイッチ類を見廻すと、『電制制御』と書かれたスイッチが、押さていました。
 客室内の室内灯のスイッチには、この他車両によって、『客室灯』とか『電灯制御』とか書かれていたので、彼に『電制制御』を操作したか尋ねました。

 彼は、そうだといったので、このスイッチを開放して、電車から降りると前まで走って行き、運転士に、
 「電車は動くはずだから、出掛けようや」といって、後ろへ戻り電車に乗り込むと、走り出してもよいよと、ブザーを押し、電車は動き出しました。
 運転士は戻っている間に、起動試験や制動試験をやっていました。

 こんなことで、次の停車駅、新原町田には2分延着で、2分縁発、相模大野に2分延着で引継ぎました。
 引継ぎのとき、後任者から、どうして遅れたのか、尋ねられたので、
 町田で、乗降に思ったより時間がかかってしまった、小田原まで行けば定時になるだろう。頑張ってくれよといって、別れました。

 運転士も交代したので、便乗してきた後輩を連れて、謝りに行きました。運転士は、
 「町田と大野の信号所には、話しておく。車掌じゃ理由を作るの難しいだろうから」と、いってくれました。

 





 
2011. 11. 19  
 マルの話 一
 
 マルとは、事故報告書を書くような事態を、発生させたが、実害が無かったために、関係する箇所に上部には報告しないように、依頼することをいっていました。


 ある朝のことでした。その日は明けで、六時過ぎに経堂出庫から、乗務が始まります。
 ホームに行くのが遅れて、出庫列車なので前任者がいないから、経堂の発車は遅れました。

 それでも、早朝なので、途中駅で乗降するお客さんが少なく、新宿には定時に到着することが、できました。

 このときは、新宿ー向ヶ丘を、一往復して交代で中休になり、朝食をとるために、事務所に戻って来ると、先輩がニヤニヤしながら、話掛けてきました。

 「お前は、今朝出場延で、電車を送らせて発車させたろう」といわれ、
 「ハイ、すいませんでした」と答えると、
 「運転士と、駅の信号所にマルにするように、頼んでおいたから、事故報告書はいらないよ」といわれました。

 乗務中、引継ぎのときも含めて2分以上遅れた場合は、定時運転になるまで、その状況と発生した理由を、事故報告書に記入して、乗務終了時に点呼助役に、報告することなっていました。これは運転士も同様でした。

 また、数ある駅のうち、待避線や折返し運転ができる、駅では転轍機を操作するための、信号所が設けてあり、そこでは、電車の運転状況を監視し、2分以上遅れた電車は、その電車の定時と、実際の運転時間を記入した、運転状況報告者を、作っていて、その都度全線の電車の運転状況を、監視している、司令所に電話で報告し、その指示を仰いで、電車の運転状況の変更に対処していました。

 このときも、経堂と東北沢の信号所で、列車遅延ということで、運転記録が残されていました。そこの信号掛は、早朝であること、この遅延が他に影響を及さず、電車が新宿到着で解消するので、まだ司令所に報告してなかったそうでした。

 それで、この二ヶ所の信号所は、この記録を抹消してくれることに、なりました。
 運転士も、以後気をつけるように、よくいっておくようにと、いったそうです。
 
2011. 11. 18  
 臨時電車 五 
 
 12.団体専用列車 二
 

 この中には、定期列車では、運転されない藤沢ー箱根湯本間を運転した列車もありました。

 経堂    大野     藤沢本町    藤沢     湯本

  ○──────□─────□───────
                       |
                ───□───
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  △────────□────────□─────────
  
 この列車のお客さんは、藤沢本町ー中央林間間各駅から乗車し、箱根湯本温泉の入湯会に行きました。追う

 上図は、その往路の車両の運用と、乗務員の仕業です。
 経堂を出庫した列車は、回送で藤沢まで行きます。ここで上り線に転線して、相模大野へ向かい、次駅藤沢本町までは回送、ここからお客が乗り始め、中央林間まで各駅に停車して、お客さんを乗せて行きます。

 藤沢本町の上りホームは、ホームの先端で電車を停めてしまうと、横断場を支障するので、早速一旦停止して、信号機を確認の上、前進して再度停車して、お客さんを乗せました。ここからは、お客さんの世話をする、駅の職員も乗って来ました。

 相模大野に到着すると、ここで江ノ島線の上り線から、小田原線の下り線に転線します。
 列車の進行方向が変わるのです。上り本線の新宿寄りに引き上げて、ここで進行方区を変えて、下り本線に入り、箱根湯本へ向かって走っていくのです。

 この方向変更は、
 1.相模大野の江ノ島線の上り線に到着。
 2.運転士は、この先の運転を、構内運転士に引き継ぎ降車する。
 3.降車した運転士は、反対側の運転台に移動する。
 4.運転士は、反対側の運転台に乗車したら、そのことをブザーで構内運転士に知らせる。
 5.これを聞いた構内運転士は、入換信号機が列車の進出を、許可しているのを確認して、次の転線作業が可能な位置まで、上り本線上を移動させる。ここには入換標識があります。
 6.次で進行方向が変わります。
 7.小田原寄りの運転台に移動した運転士は、入換信号機が列車の移動を許可し、転轍機の線路の先端が、進行して行くのに差し支えないことを確認して、電車を移動させ、小田原線の下りホームまで、列車を移動させます。
 8.列車が小田原線の下り線に到着すると、車掌は乗務位置を変更するため、これから最後部になる運転台に移動し発車時間を待ちます。
 
 ここから、運休になった特急のスジで走ります。このスジに乗るために、相模大野の発車は通過時間より、1分早くなっていました。
 
 ここまで来ると、車内のお客さんの世話は、同乗している駅の職員がやっているので、こっちの仕事は、通過監視と、小田原の出発合図だけで、乗っているだけでよいという、状態です。

 箱根湯本に着くと、折返しは経堂まで回送、仕事は各駅の通過監視と、箱根湯本と小田原の出発合図だけでした。

 復路もあって、運用も仕業もこの逆でした。新宿ー箱根湯本間の特急一往復と比べると、楽な仕事でした。

 観劇会と、成田山の初詣は、向ヶ丘以西で開催されました。
 東京周辺では、個人で行くチャンスもあるので、集客状況があまりよくないので、その代わり入湯会が複数回、開催されました。


 観劇会は、年により会場は、新宿のコマ劇場と、銀座の歌舞伎座が選ばれました。
 歌舞伎座は、新宿からバスを利用しました。

 年が明けると、成田山に初詣に行きました。新宿からバスに乗ったり、年によっては、京成電鉄の電車に乗って、行きました。
 遠いのと、朝早く出られないので、帰りが遅くなり、これは大変だったようです。

 でもいずれも、好評で、開催の時季が来ると催促する、お客さんもいました。

 補助警報器は、騒音という解釈をされて、関係官庁から、新宿ー向ヶ丘間だけ使用することに、なっていましたが、この列車は駅に頼まれると、運転士は、駅に接近したときと、出発するときに、鳴らしていました。

 このような、団体列車が運転できたのは、お客さんと駅の職員が、改札口やホームで、顔を会わせると、自然と挨拶が出る、間柄になっていたことも、一因だと思います。

 学校の遠足には、車両に余裕がある限り、随時運転されていました。一般車を使ったので、乗客全員が着席できませんでした。







2011. 11. 17  
 臨時電車 四

  11.団体専用列車 一

 伊豆や箱根に向かうお客さんを、快適に輸送するのが目的で造られた、ロマンスカー(SE車)は、観光シーズンでなくなる、十二月から翌年の二月までは、年末年始を除いて平日は、一日四往復でこと足りました。それも満員にはなりませんでした。

 四編成あるうち、一本は検査のため営業できませんが。営業線には二本出場すれば、足りるので、残った一本は沿線の住民を、お客さんにした団体専用列車として、運転することになりました。

 この時季は農閑期なので、沿線に住んでいる人達にとっても、好都合でした。
 行く先は、新宿のコマ劇場か、銀座の歌舞伎座の観劇会、新年になると成田山の初詣、箱根湯本温泉の日帰り入湯会でした。

 お客さんは、駅で集めました。毎日乗り降りする、お客さんに声を掛けたり、駅前商店街や農村では自治会などに、出向いて行って、勧誘しました。

 駅の目立つところに、看板も駅の職員が作りました。裏が真っ白な大きい期限の切れた、映画館の広告の裏に、墨と赤インクで描きました。

 一編成定員は348名ですから、少なくとも300名集めて、はじめてこの列車を走らせることができました。
そこで、全線に11人いる駅長が主催者となって、それぞれが管理している、数駅を一つのグループにして、お客さんを集めました。

 この列車には、走る喫茶室の若い女性に変わって、お客さんと顔馴染みの、主催駅の職員で当日非番の人達が、お客さんの世話をしました。

 もちろん当日お客さんが乗車し、降車する駅には、このロマンスカーが停まって、お客さんに乗り降りしてもらいました。

 ロマンスカーの全長は、一般車両の六両分と同じでした。ホームの長さが六両分ある駅は限られていたので、この列車は、殆どの駅ではみ出し停車でした。このロマンスカーの客用扉は、手動扱いで鍵は内鍵だけでした。
 客用扉を開けるには、運転台から車内に入り、車内で鍵を外し扉を開けて、お客さんに乗降してもらいました。

 この扉の扱いは、そのときのグループの始端駅で、駅職員が乗って来て、終端駅まで、必要な車両だけ扉を開けて、お客さんに、乗降してもらいました。駅職員の監視付きなので、転落事故が発生する恐れは、全くありませんでした。

 はみ出し停車をする列車を止める位置は、原則として、列車の先頭をホームの先端に揃えるということに、なっていました。この場合後ろがホームからはみ出します。このとき改札口からホームへ行く、横断場(構内踏切)をはみ出した車両が、ふさいだ場合、

 1.列車は一旦ホームの先端で停車します。
 2.車掌は停まった列車の先にある信号機が、赤でないことを確認したら、ブザーを押して、運転士に列車を移動させることを、促します。
 3.運転士は、ブザーを聞いたら、信号機が、赤でないことを確認し、警笛を鳴らして、列車を移動させます。
 4.車掌は、列車の最後部が、横断場から外れ、そこの通行に支障がなくなったら、ブザーを押して、運転士に停車するように依頼します。
 5.運転士は、このブザーを聞いたら、列車を停車させます。
 6.車掌は、列車が停まってことを確認したら、車内放送で、同乗している駅職員に、お客さんを乗降させるように、依頼します。
 7.車掌は、ホームに出発監視に出て来た、駅職員の、出発指示合図に従って、列車を発車させます。

 はみ出した駅では、このように煩雑は方法で、お客さんを乗降させました。

 お客の座席は、もちろん指定席です。
 この列車に乗ってくるお客さんは、数いる駅の職員の誰か、知っている人達です。
 駅の幹部が、このお客さん達の関係、同じ町内が、同業者か、などを勘案して座席を決めました。

 これで、駅によって乗車する車両が決まりました。ある駅では検車区で車両の図面を貰ってきて、保線区で巻尺を借りて来て、ホームに白墨で、乗車位置が書いてありました。

 また、安全をみて、列車の真ん中の二・三両でお客さんを、乗車させ、車内を歩いて自分の席に、たどり着いてもらうという、方法も取っていました。

 この列車のダイヤは、基本的には、運休となっている特急のスジを使い、スジのない時間帯や、区間はいうまでもなく、そのためのスジを引きました。
 お客さんが乗降する駅は、連続して数駅停車するし、前述のように時間がかかるので、各駅停車より遅く設定されていました。

 
2011. 11. 16  
 臨時電車 三

  6.つづき

 夏の日曜日の朝、暑くて目を覚ますと外では太陽が、ギラギラ輝いていました。今日はやるぞと張りきって、鞄や手旗を持ってホームに出て行きました。
 この天気ならば、江ノ島行の急行は、どの電車も満員間違いなしです。会社にもお金が沢山入って来ます。
 翌日の月曜日には、早速そのお裾分けとして、誰にも現金で五百円渡されるのです。

 そのころ今百円する菓子パンが、十円だったので、いまでは五千円位でしょうか。

 日曜日の収入を、多くするために、駅では前日の土曜日の収入を計算するのを、早く始め、当日の日曜日には逆に、計算するのを送らせて、日曜日の収入を少しでも多くなるような、ことをしていました。

 だから、日曜日に雨が降ると、江ノ島行の急行は殆ど運休になり、みんな渋い顔をして、仕事をしていました。
 
 天候に恵まれると、一夏にこの臨時収入(酒肴料といっていました)三回位ありました。
 また、春のお花見でも出ました。年によっては二回貰ったときもありました。
 
  7.海水浴の応援 

 ある年の日曜日、いつも四両で走っている電車は、箱根湯本に行く急行に、使われる車両以外は、全部江ノ島行の急行に充当されてしまい、新宿ー向ヶ丘を走る電車が足りなくなったときがありました。

 そこで相模鉄道から、二両固定の電車を二本借りてきました。
 この車両は、日曜日の朝、海老名から本厚木に来て、ここから新宿に向かい、夕方まで新宿と向ヶ丘の間を、行ったり来たりして、夜になると海老名から、帰っていきました。
 
 この応援に来た車両は、六三型でした。運輸省が製作して国鉄に投入し、戦後の輸送に充てられた車両で、製作された時代を反映して、内装はお粗末でした。
 私鉄でも、走ることが出来る条件を備えた鉄道は、そのおこぼれに預ることができました。逆に当社も相模鉄道も、おこぼれに預るために、線形を変えたり、ホームを削ったりして、入線を可能にして、輸送力を増強しました。

 そのようなわけで、所有する会社によって、車両番号や車両の内外の塗装色など違っていても、機械や電気関係は全く同じでした。運転する運転士にとっては、いつも扱っている自分の会社の電車と、全く同じなのでなんら違和感なく運転することができたのでした。

 オーダーメイドが当たり前の、電車にあって、戦争があったために出現した珍しい現象でした。

  8.平日の海水浴
 
 七月、八月は、学校が休みということもあって、平日でも、大勢海水浴に、大勢のお客さんが、やって来ます。
 休日と、同じように臨時電車動かして、このお客さんを、運びます。
 朝、新宿に着いた電車のうち急行で来た数本は、普段は折返しは回送て、経堂に入庫してしまいますが、この時期には急行江ノ島行になり、もうひと働きします。

 夕方、新宿を出る下り電車は、普段は経堂を回送で出庫した、都心から帰るお客さんを乗せて下って行きますが、やはり朝と同じように、その前に江ノ島へ行き、そこから海水浴帰りのお客さんを、運んで来てその後に、通勤客を乗せて、下って行きます。これらの臨時電車は、やはり時間外で対応していました。

  9.納涼電車

 特急ロマンスカーも、この時期には、黙っていませんでした。箱根湯本までの仕事が、終わったあと、江ノ島へ向かって行きました。
 
 紅茶の代わって、ビールを積んで行きました。
 いつもは通過するだけの、下北沢、経堂、成城学園前、向ヶ丘遊園に停まり、いつも通過して乗ることが出来ず、すいませんと、いうことで止まり、沿線の、お客さんを乗せました。
 普通運賃だけで、特急料金は、徴収せず、しかし座席は指定席でした。車両はロマンスカーなので、これ以上は出来ないと、季節割引運賃は適用されませんでした。 

 夕方新宿を発車するのですから、江ノ島へ行っても海水浴は出来ません。
それでも、車内で暑さために乾いた喉を、ビールでうるおし、ほろ酔いなった頃、電車を降りる頃には、夜になり涼しくなった海岸を、海風に吹かれながら、散歩するのは、気持ちいいです。折返し新宿行となって、発車するまでの二時間、海岸を歩いたり、江ノ島へ、渡ったり人様々でした。
 
 この、納涼電車は、好評でした。平日は、毎日一往復、土日は二往復、運転しました。
 その名も、『すずかぜ』、『いそかぜ』と、付けられました。

 仕事ととはいえ、お客さんは、楽しく酔っているのに、それを、横目で見ながら、仕事をするのは、辛いものがありました。でも、江ノ島での折返しの、待ち時間の半分は、時間外手当に算入されたので、各駅停車を一時間するよりは、魅力がありました。

 マスコミからは、特急ロマンスカーの、『ヨルバイト』といわれました。

 10.特急 江ノ島行
 
 この特急ロマンスカーは、朝も江ノ島へ出掛けて行きました。朝早く、箱根湯本へ行く前に江ノ島へ出掛けました。
 新宿の発車は、平日は6時30分、土日には6時00分の、二本が、藤沢のスイッチィバックによる、運転停車だけで、途中無停車で走りました。
 
 帰りは、朝江ノ島ー新宿間を、乗り通すお客さんなどいないのと、朝のラッシュアワーを、かき分けて走る、無理やりはめ込んだ、スジなので特急らしくなくなってしまい、江ノ島から新宿まはで回送になっていました。途中待避駅で、なぜ乗れないのだと、電車を待っているお客さんから、苦情が出ました。

 この早朝の特急は、走る喫茶室は営業しませんでした。雨が降るとお休みで、これに乗務するのには、前夜出勤するの三十分の、時間外手当が支給されました。

 新宿では、早朝のこの特急江ノ島行の特急が、発車すると、定期の箱根湯本行きの特急が30分おき四本、発車します。これが終わると、新宿のホームが開いたので今度は、セミクロスシートの電車が、やって来て特急として、走りました。
 『かもめ』、『ちどり』、『なぎさ』と、名付けられ、帰りの電車も箱根湯本からの、特急の間に新宿に帰りつく時間で運転しました。
 
2011. 11. 11  
 臨時電車 二 

 4.鮎電
 
 六月一日は、鮎の解禁日です。夜中の十二時を過ぎると、鮎を釣ることが出来ます。
 沿線にある、相模川、酒匂川に、釣り客が、大勢釣りに来ます。
 その、お客さんのための電車を、運転しました。六月一日の午前零時に、新宿を発車して、各駅停車で小田原まで行きます。名付けて『鮎電』。

 この電車も一般車両を使います。各停でも名前が付いています。丸い行先表示板は、踊る「鮎」を背に『鮎電』と描いてあります。五月末には、新宿のホームに、飾られポスターの役もしていました。

 各駅停車で、終点の小田原に着くのは、午前二時を過ぎますが、それでもまだ夜明け前です。釣り人は思い思いの場所に陣取ると、たき火で暖を採り、夜明けを待っていました
 
 5.海水浴(日曜日の江ノ島行)
 
 七月、八月は、海水浴客を、会社総力をあげて、海水浴のお客さんを江ノ島へ運びます。この夏の収入が、冬のボーナスに影響します。
 
 休日は、ダイヤを完全に組換え、小田原方向は、普段のままとして、準急江ノ島行を止めて、急行に使え得る車両は、全部、江ノ島行の急行に使います。最も多い時間帯は、1時間に、7~8本走っていたと、思います。
 
 普段、江ノ島線を走る急行は、ラッシュアワーだけで、それも朝上り二本、夕方の下り一本だけでした。
 停車駅は、江ノ島線内で、南林間、大和、新長後、本鵠沼、鵠沼海岸に止まり、さらに上りの一本は、六会に、休日には、中央林間にも停まりました。こうなると、急行も相模大野ー藤沢間では隔駅停車、藤沢ー江ノ島間では各駅停車でした。
 この急行列車は、海水浴の臨時急行列車とは、逆方向の運転だったので、定期列車として、そのまま運転されました。

 ところがこの海水浴の臨時急行は、都心から新宿に集まったお客さん達を、江ノ島の海岸に運ぶのが目的なので、雨が降っていなければ、新宿を出るときに、もう車内はラッシュアワーと、同じように混んでいました。

 新宿を出ると、小田原方面に行く急行と同じように、下北沢と向ヶ丘遊園と停まって、沿線でも人口の多い区間からの、お客さんを乗せ、新原町田と相模大野では、小田原方面に行くと思って、誤乗しているお客さんを降ろすと、相模大野から藤沢までは無停車で、走ります。

 藤沢は線路の構造が、スイッチバックになっているので、どの電車も停まり、運転士と車掌は乗務位置を交代します。普段、藤沢のこの交代に時間は、東海道線との連絡を意識していない電車は、2分ですが、この海水浴の急行は3分でした。
 この時間の間に東海道線でここ藤沢まで来たお客さんが、乗って来るので、発車するときすぐに、ドアの閉まらない電車もありました。

 藤沢を発車すると、二駅通過で所要時間は6分で、江ノ島に着きました。ドアを開けると広いホームも、乗って来たお客さんで一杯になりました。折返しは回送です。
 次の下り電車が、迫って来ているので、すぐに発車です。息つくのは発車してからです。

 日勤のときは、このまま新宿まで回送して、再度急行江ノ島行を担当する仕業もありました。連続乗車ですが、片道が回送で、お客さんが乗っていても停車駅が少ないので、あまり苦になりませんでした。

 午後になると、今度は江ノ島から帰るお客さんを、新宿まで運びます。
 主に、相模大野で一旦待機していた電車が、江ノ島に向かって回送で走って行きます。その最初の電車は、江ノ島から、帰って行くお客さんの整理のために、本日は休日の会社の事務職員が大勢乗ってきます。
 彼等はまだ休憩時間ですが、こっちは勤務時間なので、回送でものんびり出来ません。歓迎できる乗客ではありません。乗車拒否もできません。

 午前の上り、午後の下りは回送です。乗務員の交代が無い限り、新宿─藤沢間は無停車で、走りました。

 運転士と、車掌は乗務する行路が同じでなく、組んでいないので、回送のとき、途中駅で車掌だけが、交代する場合もあります。車掌が、このことを、運転士に話すことを忘れ、運転士が知らずに通過して、車掌があわてて止めたということが発生しました。

 それで、午前中は回送となる上り列車は藤沢で、午後は回送となる下り列車は新宿で、車掌は交代があっても、無くても、運転士に停まる必要の、有無をいうことになりました。

 その後、乗務員が交代する経堂と相模大野では、交代があっても、なくても、必ず止まることとなってしまいました。出発信号機も、停車が確認されるまでは、赤になっていました。
 交代がないときは、通過監視を省略していましたが、出発合図をしなければ、ならなくなってしまいました。

 海水浴の臨時急行列車の、行先表示板のデザインは、色は青でまとめられ、浮輪を表す丸の中に、かもめが飛んでいて、『江ノ島』と、反対面には『新宿』と、濃紺で横に書いてあるり、これを正面中央窓下に、掲げました。
 さらに、急行なので、正面右側の窓下には、白地に赤丸、その中に、赤い筆で太く『急』と書いてある運板も、掲げました。

 急行だけでは、運びきれないと予想されたので、各停も、いつもは、相模大野で切っているのを、つなげて、新宿から、各駅停車の江ノ島行として、運転しました。ところが、江ノ島行の臨時急行の他に、小田原、箱根湯本方面には、定期の特急と、急行の、箱根湯本行が走っています。
 
 各駅停車は、これらの、特急急行の間を、ぬって走るので、当然待避が多くなります。列車によっては特急と急行、または、箱根湯本行と江ノ島行の急行を、二本待避する列車もありました。さらに向ヶ丘から先は、信号機の間隔が長いので、待避列車は停車時間が、長くなっていました。

 各駅停車で新宿から江ノ島まで行くと、途中待避ができる駅、九箇所全てで、待避する列車も出てきました。
それで新宿から江ノ島まで、二時間かかります。急行の、あまりの混雑に、各停で行くお客さんもいました。二時間以上かかることを話して、承知の上で乗ってもらいました。
 
 そして、町田到着前に、このまま乗っていくと、まだ一時間近くかかるかこと、混んでいていても、我慢できるなら、急行に乗ることが出来る、最後の乗換駅なるので、このことをお客さんに案内しました。

 これだけ長時間乗っていると、子供が便所へ行きたいと、いっているということがありました。新宿近くの、待避駅では、いつも2分しかないのですが、特急、急行が抱き合わせで、待避時間が長くなる駅や、向ヶ丘を過ぎると、閉塞区間が長くなるので、子供にそれまで、我慢してもらって、待避駅の、便所へ案内しました。
 

 

 
2011. 11. 10  
 臨時電車 一

 臨時電車は、いつもより、お客さんが多く、運びきれないときに、運転されました。
 大勢の、お客さんを運べば、会社も収入が増えます。乗務員は時間外で、臨時電車の仕事をこなしていました。

 1.年の始めは、初詣、お客さんが多く降りるのは、明治神宮最寄駅の参宮橋です。
 ホームには、紅白の幕が、年末から張られ、通るたびにお正月が近いことを、知らされました。

 新宿ー向ヶ丘間は、終夜運転をしました。終電後から、一番電車が走り出す間の数時間の空白も、大晦日は電車を走らせました。

 真夜中、除夜の鐘が鳴りだすころになると、お客さんが一段と増えてきて、平日の朝と変わらない位混む電車もありました。
 車両に、余裕があるのに、暖房のききが悪い電車も走らせました。午前二時を過ぎると、初詣から帰って来るお客さんもいなくなり、電車は空いてきます。隙間風も入ってきて、寒さが身にこたえました。

 そして三ヶ日は、急行も準急も昼間は、臨時停車しました。

 2.春四月の、お花見電車から 
 
 沿線にある、直営の向ヶ丘遊園がに、桜の木がたくさんあり、きれいな花が、たくさん咲くので、大勢の人が、お花見にやって来ます。
 このお客さん達を運ぶのに、普段、向ヶ丘まで行っている、電車の運転本数では、運びきれないので、臨時電車として、経堂止まり、成城止まりが、向ヶ丘まで、延長運転をしました。

 この延長区間は、主にこの時間帯に、仕事の無い人達が、時間外で引受けました。
 経堂や成城まで担当してきた人達は、その先延長区間を、時間外の人に下りホーでに渡して、ホームを飛び降り、線路を渡って、上りホームで、向ヶ丘から帰って来る電車を待ちます。

 沿線の桜の蕾が、膨らみ始める頃から、花が散ってしまうまでの間、向ヶ丘折返の、電車の正面中央窓下に、掲げる行先表示板には、桜の花が描いてありました。

 真ん中に大きく、桜色で、花弁が五枚の桜の花が描かれ、その周囲は、青空を意味して、空色に塗りつぶされていました。もちろん、運転区間も、『新宿 向ヶ丘遊園』と書いてあり。お花見にどうぞと、電車も無言でいってました。
 
 3.山岳電車、丹沢号
 
 暖かくなってくると、丹沢連山の、登山客が増えて来ます。そのお客さんを運ぶために、動かした電車です。

 下りは土曜と休前日の夜と、休日の朝運転し、上りは休日の夕方運転しました。一般車を使ったので、運賃だけで乗れました。特急以外で名前がついたのは、珍しいです。
 それは、新宿を出ると、大秦野まで止まらず、渋沢に止まって、新松田止りのためかも、しれません。上りは勿論この逆でした。

 夜の発車は午後10時頃、一時間くらいで着くのでので、登山者は降りた駅で、駅前の旅館にでも、泊まったのでしょう。
 休前日のこの時間は、週末でもあるので帰宅する酔客が多く、登山者のためという目的から、外れそうになり、新宿駅では、最後部の扉だけ開けて、駅の職員と車掌で、酔客の乗車を断りました。

 朝は6時過ぎに発車しましたが、乗客は少なかったようです。後に、町田にも停車しましたが、早すぎることもあって、乗車率はかんばしくありませんでした。
 
 このあとの時間に、急行の定期列車は、30分毎てしたが、この間に数本急行列車を、小田原まで運転したので、急行列車が定期臨時併せて、15分毎に走りました。これらの列車は、混んでいて、車内を歩くのに苦労しました。本厚木では、横浜方面からの、お客さんが相模鉄道でやって来て、降りる人に比べ、乗る人が多かったです。
 
 ある日、下北沢を出てから、検札を始めると、乗越しの精算が多く、四両にうち、二両が終わったら、大秦野に着いてしまいました。大秦野、渋沢を発車すると、車内は、座席も空いていました。

2011. 11. 09  
  失敗談

 この失敗談は、明(あけ)ダイヤのときに引起こしました。特急列車を遅れて運転させたのです。
 明ダイヤで特急を担当するときには、特急の走る前の時間は、ラッシュアワーなので、一本でも電車を余計に走らせたいので、一人でも多く乗務員が必要でした。

 そのため、これから特急で湯本一往復が控えていても、ラッシュアワーに駆り出され、新宿ー経堂間一往復位は、乗務させられ、朝食を済ませ、特急は車両が引継ぎでなく、出庫なのでその準備をして、留置線に向かうことになっていました。

 また午後の特急のときは、泊(とまり)になるので、特急の乗務を終わらせて帰ってくると、休憩があり夕食を済ませて、新宿ー向ヶ丘一往復位は乗務して、その日は終わりになりました。

 特急のグループは、仕業数が十二しかないので、二週間に一度廻って来ます。そのため何回か繰返していると、時計を見なくても、体が覚えていて、食後、どの位休憩時間あるか、わかっているつもりで、雑談していました。
 
 するといきなり、事務室のほうから助役さんが大声で、
 「2005Bの回送は、誰だ。信号所から車掌がいないと、言って来たが」。
 「いけねえ。俺だ」。
 「何してるんだ。早く行け」と、怒鳴られました。
 
 時計をみると、8時35分、新宿から特急として箱根湯本へ下って行く列車を、新宿まで回送するための発車時刻でした。

 急いで、車掌鞄と手旗、車内でバックグランドミュウージックに使う、テープレコダーのリールが入っている木箱を両手に持って、留置線に急ぎました。

 出庫なので前任者はいません。回送は遅発になりました。

 留置線までは、数本の検車線と、上り下りの本線を横断します。横断するには立ち止まって、電車が通過するとききは、待たなければなりませんでした。

 ようやく目的の列車にたどり着くと、前から車内に入りました。そして自分の乗務位置である後ろには、車内を歩いて行きました。
 待っていた運転士が信号所に連絡し、この回送列車が本線に出られるように、進路を構成してもらっていました。その信号所からの返事が
 「後続を、先に出したから、待つようにいわれたよ。この続行で出してくれるそうだから、信号が赤から変わったら、動きだすから気を付けるように」、といわれました。
 
 留置線の脇を、満員電車が走って行きました。

 信号が、「注意」に変わり、動き出しました。時計を見ると、10分延。新宿まで回送です。
 恐らく新宿での停車時間など無いに等しいので、お客さんが乗ったら、すぐに発車しなければならなくなるだろう。停車時間を、短縮するため、いつもは、乗車口の扉は、駅に着くと、駅の職員が運転台から車内に入って来て乗車口となる扉の鍵を開けていましたが、その時間もおしいので、新宿までの走行中に鍵を外しておきました。
 
 新宿着いたときは、時計を見ると発車時刻の9時00分でした。
 後ろを振返ると、出発信号機は「青」でした。ダイヤで後続となる電車は、全て発車時間が来ても、発車できない状態になっていて、特急に早く湯本へ向かって出て行けという社長の命令です。
 
 最後部の正面窓下に、愛称板の「回送」表示から「あしがら」と、愛称名に取り替えるのですが、これが蝶ネジ止めでネジを廻して外し、取替えて取付けるのです、いつも時間がかかります。
 
 早く取替えたいと、ネジをあまり廻さないと、板が平面でなく、車体に合わせて曲面なので、ネジを少し廻しただけでは、浮いてこないので、取外すこともができません。今日は早く出来るように、いつもより余計に廻して外すと直ぐに外れました。

 今度は取付けです。それぞれの板の曲面が微妙に違うので、この程度のユルメ方では、取りかないこともあり、折角持って来た板を、線路上に置いて再度ユルメて、取付け直しました。

 次は、乗務位置の交替です。道具は全て、いままで運転士が乗っていた、最前部これから自分の乗務位置になる、最後部に置いてあるので、ホームのお客さんの間を縫って、最後部まで走っていきました。

 途中、特急に乗るお客さんの特急券の改札をしていた、駅の職員が、もう乗るお客さんは居なくなって、空いてしまった乗車口の脇で、早く行けとばかりに、右手をグルグル廻していました。

 最後部の運転台にたどり着き前を見ると、駅の助役さんが、赤旗を絞って上にあげました。出発合図です。信号の現示を確認し、手笛を吹き、ブザーを押しました。電車は動き出しました。

 折り返し、『特急 箱根湯本ゆき あしがら』は、新宿を5分延で発車しました。

 出発監視が終わると、いつもは新宿の停車中にやる車内放送を一通りしました。
 座席の案内、手洗所の案内、小田原、箱根湯本の到着時刻など、

 そして車内が落着いたようなので、車内に入りました。グループ旅行は乗車してから、座席が決まるまで時間がかかるのです。とくに女性だけだと、一度決まった座席を変えるので、落着くまでに時間がかかるのです。

 走る喫茶室の女性も、新宿で乗るとき忙しい思いをさせられたので、うらめしそうな顔をして、お客さんに見えないように、拳を振り上げていました。

 すぐに電車のスピードは落ちて来ました。

 朝の、ラッシュを終わった電車が、戻って行くなかを、走るので、前がつかえて走れないのです。 
 遅れがこれ以上増えないように、運転士は苦労していました。

 箱根湯本へはそのまま5分延で到着。20分ある折返し時間を詰めて、上りは箱根湯本を、定時発車し。新宿に定時到着しました。
 新宿からは、便乗で経堂へ、今日の仕事は、これでお終い。

 事務所へ戻ると、処分はまだ決まっていないから、明日1時間早く出て来いと言われ、翌日、事故報告書の他に、社長宛に始末書を書かされました。

 始末書は、発生日時、該当列車、発生状況を書きました。
 その内容は、○○年○○月○○日 回2005B列車、特急客2005列車
 回2005B列車の、経堂駅の発車時刻を失念し、経堂を10分延発、新宿10分延着、
 折返し特急客2005列車は、新宿5分延発、箱根湯本5分延着

 そして最後に、「今後このようなことはいたしませんので、御寛大な処置を、お願いたします」と書きました。

 その後この件に関してなんの音沙汰も、ありませんでした。
 
2011. 11. 04  
 台風 二 

 台風が来て被害が出ないまでも、出ることが予想されると、電車の運転を止めることがあります。
 これからの話は、台風の影響で普段宿泊しないところで、宿泊することになった、ときのことです。

 伊勢原 泊

 その日は、泊(とまり)でした。台風が来ていて、風雨が強く、帽子が飛ばされそうなので、帽子のあご紐を閉めて、乗務していました。この日の、最後は、相模大野から各停で、小田原まで行き、小田原泊で終りでした。

 その最後の乗務時間が来るのを、大野の車掌区で待っていたとき、助役さんが、
 「今夜はあぶないので、電車を動かすことを止める。まだ仕事が残っている者は、指示があるまで、待っているように」と、いわれました。
 まだ、仕事が残っているので、ホームに出ないで事務室で待っていると、しばらくすると待機していたみんなを助役さんが呼び集め、

 「明日は台風一過生晴天になるので、明朝は平常運転に戻る。いまは今夜外泊する車両もここ相模大野にいるし、まだこれから帰って来る電車もあるので、全部収容出来ないから、今夜外泊になっている電車は、回送して行けるところまで、持って行くことにするから。
 だが、渋沢ー新松田間の四十八瀬川はまだ危ないので、それぞれ手前の大秦野、伊勢原、本厚木まで行ってもらう」といわれ、
 
 「そっちは伊勢原まで行って、伊勢原で泊って、明朝伊勢原から小田原まで回送して、小田原からの上りは予定通りとするから、そのつもりで、今夜泊るところは伊勢原の駅で尋ねてくれ、駅に電話しておくから」といわれ、これからの運転時間表と、明朝伊勢原ー小田原間の時間表を渡され、伊勢原へ向かいました。

 相模大野を出るとすぐに電車は、遮るもののない、田んぼや畑の中を走ります。電車には風が強く当り、雨も激しく降り注ぎました。上に張ってある電線は、風にあおられています。途中、渡った相模川は、白い泡を立てて、水嵩も増して、濁流がゴウゴウと流れていました。電車の下に風が吹き込んで来ると、持ち上げれれる恐れがあるので、早くこの場を逃げたいのですが、ユックリ渡りました。

 伊勢原に着くと、電車と共にここで一晩明かします。夜間にブレーキの空気が抜けて、ブレーキが緩み、平坦な駅構内でも風にあおられ、動き出すといけないので、運転士は前を、車掌は後ろと二人で、電車の車輪と線路の間に、挟み物(手歯、またはハンドスコッチ)を、挟み込んでから、駅事務室へ行きました。
 合羽を着て作業をしましたが、頭のてっぺんから、靴の中まで、雨と風でビッショリになっていました。

 駅事務室に入ると、駅の助役さんから、
 「明日の朝、線路がまだだめだったら、大野へ戻ってもらうから、今夜は通信区で泊るように」といわれ、通信区の詰所に案内されました。
 通信区の詰所は線路を挟んで、駅事務室と反対側にありました。中へ入ると、そこには数人の通信掛がいました。そのなかにいた班長さんが、
 「今夜はここで寝て下さい」と。敷いてある布団を指さしました。すぐに寝ることが、できるようになっていました。シーツも枕カバーも、洗濯されたサッパリしたものでした。

 「私達は、これから様子を見に行きますから、ユックリ休んで下さい。私達は明日休めますから」と、いって連れだって出て行きました。
 とても丁寧な言葉、物腰でした。

 翌朝、目が覚めると晴天でした。駅の助役さんが起こしに来て、
「小田原まで行くように、いって来たから、四十八瀬も水が減ったそうだ。5時10分に発車して、小田原まで回送。」といわれました。 
 
 通信区で、借りた布団を畳んで外へでました。このときまでに、通信掛の人達は、帰ってきませんでした。 
 きちんと挨拶してから、出掛けたかったのですが、小田原までの、どこかにいるのでしょうが、どこにいるんだろうなと、思い、時々電車の小窓から、顔を出したり、後ろを眺めたりしながら、小田原へ向かいました。 

 
 今夜の宿は柔道場 大秦野 泊 

 この前と同じように泊の日、この日も朝から雨、風ともに強く、その中を出勤しました。
 この風雨の中を行ったり来たり、最後は、新宿から急行小田原行で、小田原泊。
 台風のためにお客さんは少なく、電車は空いていました。電車が進むほど、時間が立つほど、風雨はだんだん強くなりました。
 大秦野に着いたときには、土砂降りになっていました。その中を、駅の助役さんが、やって来て、

 「ここで雨の様子を見るので、しばらく止めるから、お客さんにそういって降りてもらい、ドアを閉めて、駅の事務室で、待っているように」と、指示がありました。
 いわれた通りに、乗っていた僅か数人のお客さんに、降りてもらい、ドアを閉め、土砂降りの中を線路に下り、車体の下にもぐって、車輪の前と後ろの、両側にハンドスコッチを、取り付けました。

 駅の事務室へ行くと、助役さんと二・三人の職員がいて、ストーブを焚いていました。上着やズボンを乾かすように言われ、そうさしてもらいました。
 助役さんに、風雨が収まり線路に支障がなければ、今夜のうちに小田原まで、行ってもらうそうだから。しばらく待っているようにと言われました。
 駅にはお客さんはいません。事務所では誰も口を開かず、聞こえるのは風の音、雨の音だけでした。

 そのとき、大きなガラスの割れる音がしました。駅前の商店のガラス戸の、ガラスが風雨のために割れたのです。
 またしばらく沈黙が続きました。そこへ電話が鳴りました。電話をとった助役さんが電話を切ると、私達のほうを向いて、

 「急行は今夜はここで打切るそうだ。運転士さんと車掌さんは、今夜はここに泊って下さい。明日の発車時間は、まだ決まっていないから、決まったら、その30分前に、起こしに行くから」といって、若い職員に向かって、

 「柔道場に泊まってもらうから、案内してやってくれ」といって、壁に掛かっている鍵を取って、その若い職員に渡しました。そして、また私達に向かって、
 「これは、お客さんが忘れて行ったものだ」と、言って、それぞれに、傘を渡してくれました。

 私達は挨拶をして、その若い職員の後に付いて、柔道場に行きました。柔道場は、事務室とは線路を挟んで反対側にあり、会社の厚生施設の、一つだそうで、昼間は、時々使っているそうです。広さは二十畳位あり、布団は、その片隅に積んでありました。案内して来た職員が、

 「私達駅の者は、別の所で寝ますから、ここはお二人だけです。布団も御自由にお使い下さい」と、いって出て行きました。

 運転士と二人だけで、この柔道場の真ん中に、布団を敷き、その布団も、下は三枚も重ねて敷きました。いつも泊まりのときは、隣とぶつかる位にしなけれは、全員の布団を敷けない狭い部屋で、さらに、上も下も、それぞれ布団一枚だけで、寝ている身にとって、大名か殿様に、なったような、楽しい気分になりました。

 翌朝4時頃目に覚めました。身支度をして駅へ行くと、助役さんが、
 「起こしに行こうと、思っていたんだ。今保線が帰ってきて、四十八瀬は、もう大丈夫だそうだ。発車は4時30分、小田原まで回送」と、指示されました。保線掛が徹夜で、線路に沿って流れている四十八瀬川、延長7kmにわたって、警戒してくれていたのです。


  四十八瀬川

 いままで書いてきた、四十八瀬川は、丹沢連山の主峯、塔ヶ岳の麓を水源として、線路が渋沢隧道を出たあたりから、線路に沿って流れ、松田町で、酒匂川に合流しています。そして下流では。川音川と名前を変えています。

 その中流では、流れが右に左に変わっていて、線路もそれに応じて、橋を掛け左に右に曲がって、走っています。 

 その中ほど、川がUの字になっているその先端に、一軒の家があり、線路がその首のところを、走っているので、線路には、その家専用の踏切があります。 
 このあたりに、北側から合流して来る、中津川の、その上流には『寄』という名の集落があります。読めない地名の一つです。

 『やどりぎ』 と読みます。 
 



    
2011. 11. 03  
 台風 一

 前に台風が来たときのことを、書きましたが、また台風が来たとき、起きたことを書きます。

 台風が来ると大雨が降り、大風吹き、小さな川は氾濫し線路は冠水したり、線路の下の砂利は流されたり、線路が土砂を冠ったり、線路上に樹木が倒れたりして、電車は通れなくなり、電車は運休して、仕事が出来ない事になります。

 新宿─経堂間だけの運転

 この日は日勤でした。昨夜は自宅にいました。雨も風も、ものすごかったので、線路もやられているだろうと、思いつつ出勤しました。 
 
 やはり昨夜の風雨で、沿線の小さな川までも、いたるところで氾濫して、出勤したとき電車が走ることができたのは、新宿─経堂間だけでした。
 各停だけを、新宿─経堂間を時間表通りに、運転していました。

 出勤点呼を、終わってホームに出ると、自分の乗務する電車に関係なく、出勤して来た順番で、まず新宿まで一往復して、新宿から帰って来ると、その順番の最後に付いて、自分の順番を待つということで、なるべく公平になるようにして、乗務しました。
 新しく出勤して来た人は、この順番に関係なく、まず一往復することと、決められていました。そして正規の退出時間になったら、帰ってよいこと。もし乗務していたら途中で、退出時間になる来る人は、乗務しないでその時間まで、待機ということに、なって乗務していました。

 やっと自分の番になると、新しく出勤して来た人がいて、次の電車まで待たされて、次に乗務する機会はなかなかやってきませんでした。
 
 この日は、夕方の退出時間までに四往復して、家に帰りました。
 あとで聞きましたが、夜になって向ヶ丘まで、開通したとのことでした。

 向ヶ丘遊園─柿生 間 

 その日は土曜日でした。昨日台風が通ったのですが、今日は台風一過、晴天です。
 この台風で線路が痛められ、この日は、向ヶ丘─柿生間は、上り線だけしか通ることが出来ませんでした。
 この上り線に下り列車も、走らせる下り列車は逆線運転をすることにしました。

 こうすることによって、下り列車も上り列車も運転することが可能になりました。

 この方法は、向ヶ丘ー柿生間には、下り列車が上り列車のどちらか一ヶ列車しか運転出来ないので、両駅で協議
して、『指導者』を一人選定し、この人が乗務しない限り、この区間は電車の運転は出来ませんでした。

 逆線運転になる下り列車は、途中にある上り列車用の信号機は背中を見るので、無意味であり、下り列車用の信号機は、下り線を走っていないにで、これも無意味でした。
 
 踏切の警報機も、動作終点から動作開始点に逆走するので動作せず、踏切を通行する自動車や人に対して、電車が通過するときには、注意を促すための警戒員を配置しました。
 もちろん、運転士も、警笛を鳴らしたり、速度を落して、事故を起こさないように、踏切の通過には注意を払っていました。

 具体的な運転方法は、例えば下り列車は、向ヶ丘を出で柿生に向かうのには、向ヶ丘で下り線から上り本線か待避線に転線し、柿生からの上り列車を待ちます。

 柿生からの上り列車が、空いているどちらかの線に到着すると、上り列車に乗って来た『指導者』が、上り列車から降りて、下り列車に乗って来るの待って、『指導者』を乗せて下り列車は柿生に向かって走って行きます。

、柿生に着くと、上り列車が本線か待避線のどちらかで、待っているので、空いているほうの線に入り、お客さんを降ろして、下り線に転線し待っているお客さんを、乗せて下り方面に走って行きました。

 一方柿生で、下り列車の到着を待っていた。上り列車は下り列車に乗って来た『指導者』が乗車すると、向ヶ丘に向かって走って行きました。上り列車に対しては、信号機も踏切の警報機も、正常に動作しましたが、いつもと違う時間に電車が走っているので、普段以上の注意が必要でした。

 この上り電車が向ヶ丘に着くと、前回と同様に転線して待っていた下り列車に、『指導者』が乗って電車は柿生に向かい、下り線を電車が走れるようになるまで、これを続けました。

 普段、向ヶ丘ー柿生間の所要時間は途中二駅停車の各停で、11分でした。このときは、台風の被害受けた線路のうち、被害の程度が軽い、上り線を保線関係者の努力で、なんとか開通させたので、普段の速度では電車が走ることが出来ない徐行区間も多く、また転線するなどの入換時間として、余計な時間も必要となるので、数分加算して、片道15分、往復30分と、所要時間を想定し、一方向では30分間隔での運転が可能としました。

 それでこの区間は、普段30分毎に運転されている急行だけを、運転することにして、形の上では不通区間は無いということになりました。
 急行しか運転できないので、向ヶ丘ー柿生間は各駅停車で運転しました。
 
 しかし、特急は全区間運休、準急、相模大野折返の各停などを、この区間では運転することが出来ず、輸送力は三分の一以下になっていました。

 この他にも、向ヶ丘や柿生で、急行の転線作業に支障をきたす、各停は全区間、或いは一部区間で運休になっていました。

 今日は日勤で、朝出勤すると、電車の運転状況はこんな状態でした。今日のスケジュールは、まず各停で相模大野へ行き、ここで休憩し、各停で相模大野─江ノ島間を乗務し、そのあと急行で相模大野─箱根湯本間に乗り、上りは相模大野で引き継ぎ再度休憩し、また各停で、経堂へ戻って来るこという、俗称出稼ぎダイヤでした。

 出勤点呼で、相模大野へ行く電車は全区間運休になっていると知らされ、次が相模大野から江ノ島なので、この電車の相模大野発車に間に合う電車に、お客さんになって(便乗)、相模大野へ向かいました。向ヶ丘から乗った急行は、上り線を走ります。向ヶ丘で後ろに、乗る予定の電車が無くなった運転士が乗って来て、上り線に転線しました。 

 ここ、向ヶ丘から下りの急行は、いつも通過する、途中の二駅にも停まりながら、柿生まで上り線を、走って行きました。逆線運転です。信号機はすべて後向きで、見えないから使えません。
 その代わり、向ヶ丘を出発するときは、ホームの先頭で駅の職員が、緑の手旗掲げてから、発車しました。

 大野から江ノ島へ行って来て、次に下りの急行 箱根湯本まで行きました。新宿からの特急が運休になっている上に、週末なので終点の箱根湯本まで、混んでいました。
 
 箱根湯本で折返し相模大野まで帰って来ると、ここで交代でしたが、交代がいないから、そのまま新宿まで行くように指示されました。

 新原町田ー向ヶ丘遊園間は走っている電車が少ないので、もし相模大野で降りてしまったらいつ帰ることが出来るか心配だったので、内心はうれしかったのです。

 交代がいないときは、電車が運転出来なくなるので、そのまま乗って行って、その先の駅から、車掌区の連絡するように、言われていました。

 次の町田へ止まり、次はいつもは通過する柿生に停車、駅の事務室へ行くき様子を聞くと、下りの電車が来るまで、20分位待つだろうといわれました。

 そのことをお客さんに案内すると、大勢ホームへ出て来ました。立っている人は、ホームのベンチに座ることも、ホームでしゃがむことも、出来ます。狭い車内より広いホームのほうが、リラックス出来るのです。ここの線路の外は田んぼでした。この停車中に車販の女の子は、持っていたお菓子などを、全部売りつくしたといって、喜んでいました。

 ようやく下り電車が来て、発車しました。向ヶ丘までの途中二駅は、臨時停車です。

 向ヶ丘からまた急行になりました。
 ここでまた心配事が出てきました。

 それは、このまま新宿へ行ってしまうと、この電車は新宿から下りの急行になって、経堂を通過してしまうことが考えられたにで、これでは、車掌区のある経堂では降りられない。また相模大野まで行くことになるかもしれない。
 今日は日勤で、夕方には、家へ帰れることになっているのに、いつ帰ることが出来るかわからない、これは困った。どうしたものかと、せめて下りの向ヶ丘へ交代を送ってもらいたいものだと、考えて車掌区に連絡しなければと、思いました。 

 電車から直接車掌区へ連絡する方法はありませんでした。駅に停まったとき用件を書いたメモを、駅職員に渡して、車掌区に電話をしてもらうか、
 通過する場合は、『通信袋』と書かれた、ハガキ半分位の布製の袋に、用件を書いたメモを入れ、これが飛び出さないように、袋の口に付いている、幅広い赤紐で結わいて、駅を通過するとき、駅職員の目の前に落します。
 もし、駅職員が気付かないと、いけないので、ホームに進入する前に、警笛を鳴らし、駅職員が事務室から出てきたことを確認し、彼の足下にこれを投げました。

 経堂駅の事務室は、ホームの反対側にありました。ホームには、交代のために同僚が、いるかも知れません。駅に近付きホームを、見るとやはりいました。彼等の目の前に、通信袋を落して、通過して行きました。あとは結果がどう出るか。

 新宿に着くと、
「この電車は回送になります。御乗車出来ません」と、放送していました。そして、
「折返し、経堂回送」と、指示を受けました。

 翌日曜日、下り線も通れるようになりました。だが、線路は完全に復旧していないので、各所でスピードを落して、走らなければなりませんでした。当然電車は遅れます。それで、各停相模大野折返しの、電車全部は、町田─大野間が、運休になり、一ヶ月後に完全に復旧するまで、これが続きました。

 でも、もともと大野折返しは、大野で停まっている時間が短かったので、町田に着いたときには、上り電車が発車する時間になっていました。上り電車は運休の、恩恵にはあずかれませんでした。
 
2011. 10. 28  
 各駅停車 四
 昼間新宿から発車する、各駅停車は、5~6分おきに、発車していました。ほとんどの電車は、成城か向ヶ丘で折返していましたが、時間帯によっては、30分に一本、相模大野まで行きました。それで、新宿─向ヶ丘間は、電車の運転回数が、圧倒的に多かったので、乗務する電車も、日によっては、一日中新宿ー向ヶ丘だけを、行ったり来たりしただけで、おしまいという日が、多々がありました。 
 
 この各駅停車は、新宿─向ヶ丘間を、途中駅で待避が無ければ30分で走りました。この間には駅が十七あり、駅の間で一番長いところは、2分かかりますが、短いところは1分位で、次の駅に着きました。それだけに仕事は忙しかったです。 

 また、新宿─成城間一往復で途中駅で待避があると1時間かかりました。三回続けると、3時間かかります。急行で新宿─箱根湯本一往復、3時間半と比べると、疲れが違います。ただ、ほとんどの電車が途中、東北沢か経堂で、または両駅で、待避があり、ここで息抜きが出来ました。そんな各駅停車の様子を、書きました。

  御 用

 参宮橋は改札口を入ると、目の前に上り電車が、停まります。ある日、この参宮橋で、お客さんが降りて、乗るお客さんも終わり、ドアを閉めました。そのとき、ホームへ一人の男性が、飛込んで来ました。すぐドアを開けて、その人が乗ったのを見て、ドアを閉めました。すると、また一人飛込んで来ました。またドアを開けて、その人も乗ったので、ドアを閉めました。今度は、電車は発車しました。

 数日後出勤すると、助役さんから、話がありました。

 「何日か前、参宮橋でドアを閉めたあと、二人の男の人が、ホームへ入って来て、閉めたドアを、また開けて乗せたことがあったろう。それも二人別々に、二度もドアを開けて」。

 「はい、ありました」。

 「あの二人は、後から乗ったのが刑事で、先に乗ったのは、その刑事が追いかけていた、犯人だったそうだ。乗った車両が、隣の車に行くことが、出来るタイプじゃなかったので、車内で御用になったそうだ。そのとき追いかけていた刑事から、新宿駅にお礼の電話があったそうだ」。
 
 そのことを、傍で聞いていた仲間が、
 「犯人逮捕の協力したんだから、そのうち警察から表彰されるぞ」といいわれましたが、その後なにもありませんでした。

 急カーブ

 代々木八幡は、創業時用地買収に苦労したのか、ホームは、線路が半径200mの、急カーブの所に造られています。
 下りのホームは、右に大きく曲がった、外カーブです。電車が停まると、ホームの幅が狭いこともあって、自分に位置から見える範囲は、後ろ三両位までです。

 四両の場合は、前から二両目まで、前へ行かないと、先頭まで見ることが、出来ませんでした。

 四両で来た場合は、先頭が、見えるところまで行って、お客さんが、乗り終わったのを確認し、戻ってドアを閉め、また、出て行って、ドアが閉まったことを確認して、後ろに戻り、ブザーを長く一押───、発車してもよいと、運転士に合図しました。それから電車は発車しました。停車時間は余計にかかりました。

 一方、ここの上りホームは、内カーブで、奥行もあったので四両でも、先頭までよく見えました。満員電車ですと、乗っているお客さんは、ホーム側に寄って来て、その圧力でドアが開かない、ことがありました。

 このようなことが、前のほうの車両で、よく起きました。終点新宿で降りる、お客さんにとっては、乗換や改札口は、前のほうが便利なので。

 これを無理に開けると、このお客さんの圧力に勝てず、閉めるのに苦労しました。
 ドアが故障していて、開かないのでは、ないのかという疑問は、一つ手前の代々木上原で、解決しています。

 ここの駅のホームは外カーブなので、どんなに混んでいても、全部のドアが開きます。ここで確認して来たばかりですから。

 外カーブでも前にあまり出ないで、電車の先頭まで、見ることも出来たホームもありました。

 豪徳寺の下りホームです。この駅の線路は先に開通していた、東急世田谷線を、乗り越えるために、地面より高くなっていました。
 改札口は地上にあって、ホームからは階段を降り、線路の下を通ったところにありました。

 ホームで、その階段の降り口が、線路に直角に後ろを向いていたので、その分ホームの幅が、広くなっていました。その広いとろを利用して、車掌の位置から左斜め前方に、ポールを建て、それに鏡を取付け、車掌が左側を見ると、その鏡に電車の先頭が、写るように、鏡の角度を調節してありました。車掌は、後ろの運転台から、あまり動かず顔を少し左に動かすだけで、ドアを開閉することが出来ました。

 満員電車 その1

 なんといっても苦労するのは、満員電車です。そのなかでも、上りの各駅停車の新宿行で、経堂で急行の通過待ちをする電車が、一番苦労しました。経堂は急行が通過するので、各停のお客さんは、急行に乗換えることが出来ず、そのまま乗って行きます。

 各停は、急行の通過を待つために、余計に停まり、そのぶん先行電車との、間隔が余計に開きます。この開いた分だけ、この先の駅では、お客さんが増えるのです。
 この先、井の頭線に乗換える、下北沢までは、乗って来る、お客さんばかりです。車内は混む一方です。

 ドアは閉めても、すぐに閉まらないのもありました。こうなると、降りるお客さんが済んだら、乗るお客さんがいても、ドアを閉めます。当然すぐ簡単に、ドアは閉まりません。乗れないのことが解って諦め、電車から離れて、ドアが閉まるのを、協力してくれる人もいました。
 
 ドアは、閉まってくるに従い、閉まる力が強くなります。乗ることを諦めるお客さんが、さらに多くなりついには電車と、お客さんの間に隙間ができました。まだ、完全に閉まっていないドアがあります。その車両の車側灯は、消えていません。それでも、ホームのお客さんと、電車の間に前から後ろまで隙間ができて、見透せるようになった瞬間、 

 後ろを向いて様子を見ていた、運転士と目が合いました。右手を上げて、大きく回しました。発車しようと、合図しました。 
 
 運転士はドア故障時などに使う、ドアに関係なくモーターに電気が、流れるように回路を切替え、少し動かしました。
 完全に閉まっていなかったドアも、お客さんの体が完全に車内に入りだんだん閉まってきて、ついに全部閉まり、車側灯も消えました。 それまではドアと、お客さんの様子を見ていました。
 運転士はドアが全部閉まり、知らせ灯が点灯したので、回路をもとに戻し、安心してスピードを上げ始めました。

 満員電車 その2

 車掌になって五年も経った頃、こんなことがありました。
 その日に組んだ運転士は、車掌区では後輩でした。車掌から運転士になって、まだ数ヶ月しか経って、いませんでした。 

 朝のラッシュアワーに、二人は経堂で、先に行った電車から10分以上遅れた、上り各駅停車新宿行を、引継ぎました。その遅れた理由は忘れました。
 ホームは、電車が来るのを待っている、お客さんで一杯になっていました。

 やって来た電車も、もちろん満員、降りるお客さんが降りたら、すぐドアを閉めて、発車したかったのですが、降りるお客さんが、奥から出て来るのに、時間がかかりったり、 
 またドアを閉めようとしても、乗るお客さんが多く閉まらないので、ドアを一枚々々閉めて廻りました。
 来る駅、来る駅ホームは、お客さんで埋め尽くされていました。

 新宿まであと数駅を残す、ある駅に着くと、ホームを前のほうから、電車が混んでいて、乗れないでいる、大勢のお客さんをかきわけて、運転士がやって来て、言いました。顔を見ると真っ青でした。

 「もうだめだ。これ以上行かれない」と、
 ここへ来るまでの各駅で、待っているお客さんが、あまりにも多く、圧倒され恐怖さえ感じたのかも、しれません。

 「何言ってるんだ。行かなきゃだめだ。この先もホームを飛び出しちゃだめだぞ、止めるときはユックリ止めろ。出るときもユックリでいいから、ゆれないように。時間なんか、気にしなくていいから」といって、前まで連れて行き、自分の席に座らせました。

 彼は、こっちを見てニッコリしました。もう大丈夫だろう。

 この先、ズット小窓から顔を出して、前を見ていました。彼もときどき顔を、後ろに向けて来ました。顔は穏やかになっていました。
 後ろを見ると、次の電車が、すぐ後ろを走っていました。




    
2011. 10. 26  
 各駅停車 三
 
 車掌が前に

  新宿   経堂    成城    大野    江ノ島
 
                   4:50○───5:30
                         |
  7:10───●─────────────────5:40 
    |
  7:20─────────7:45
             |
  8:20-------8:00--------7:50
    |        |
    |  8:05△─□─7:55
    |
  8:25-------------------8:50
             |
  9:25-------------------8:55
    |
  9:30-------------------9:55
             |
  10:25------------------10:00
    |    
  10:30-----△10:45

 こんどは、朝のラッシュアワーに、故障した話です。 
 
 昨日午後出勤して、相模大野泊まり、今日は明けで、相模大野から一回江ノ島に行き各停新宿行で、上って来ました。
 途中経堂で、前に一両増結して四両となり、そのまま朝のラッシュアワーを、降りずに新宿─成城間を三回行ったり、来たりすれば。この日は帰れるのでした。

 成城に到着しお客さんを降ろし、下り線に出て行き、進行方向を変えるために、運転士と乗務位置を変えまた。
 この場所は、次の下り電車も通るので、すぐ移動しなければ、ならないのですが、なかなか発車しませんでした。 前見ると入換信号機は、動き出してよいと、緑色のランプが点灯していました。

 隣の上り線を見ると、後続となる電車が、もうやって来ていて、駅の外で待っていました。

 そのとき、運転士から、『前へ来るように』と、ブザー合図がありました。前へ行くと運転士が、

 「一番前はだめだから、二両目で動かすので、先頭に乗って、合図をしてくれないか、お客さんは乗せずに、経堂まで回送にするから、ホームに入ったら、駅に話すので、適当なところで停めるから、承知しているように」と、いわれました。
 後ろに戻り、手旗を持って来て、先頭の運転台に乗りました。運転士は、二両目の運転台の小窓から。顔を出しました。これで動くことが、出来るようになりました。 
 
 緑色旗を、左側の小窓から外へ出し、警笛を一声鳴らしました。運転士の代わりを、するのです。
 電車はユックリ動き出しました。ホームに入って来た電車が、車掌が前に乗り、小窓から旗を出している、異常な状態なのを見て、駅の職員は、運転士のところに、駆け寄って来ました。

 運転士の説明で、事情が解った助役さんは、
 「よし解った。司令所には連絡しておくから、すぐ発車するように」といい、絞った赤旗を上にあげました。

 先頭の運転台に戻り、信号機が、出発してもよいと、緑色を点灯しているのを確認し、指をさし、大きな声で、 「出発進行」といいい、緑色旗を左側の小窓から外へ出し、警笛を鳴らしました。

 電車は、おもむろに動き出しました。通過する駅のホームは、溢れんばかりのお客さんでした。 
 ホームに入る前から、警笛を鳴らしました。 警報機のない踏切も、怖かったです。

 経堂までの約10分間。初めてのことでもあり、緊張の連続でした。
 経堂に着くと、構内運転士に電車を渡し、次の仕事の指示を、受けるために、区の事務所に行きました。

 このように電車が故障したり、大きく遅れたりした場合は、代走(特発)を出すこともあるので、これがどうなっているのか尋ねると、

 「今の時間は、全部出払っていて、故障した電車に代わる予備車はないし、あと二回成城折返しが済めば、入庫だから、前途は運休になった。退出時間が来るまで、待機しているように」と、いわれました。 
 乗る電車がもうないということでした。

 上の図の点線区間が、故障のために乗務しなかった区間です。 

 朝のラッシュアワーで、故障して大穴を開けた。その当人は、仕事がなくなって事務所で、ブラブラしている。
 一方、先輩、同僚は、その巻き添えを食って、電車が遅れ、悪戦苦闘してきたのでした。その姿を見て、彼等は恨めしそうな顔で、こっちを見ていました。 


  

   

  

  

   
2011. 10. 26  
 各駅停車 二

 新松田─小田原間 運休
 もう一つ終点まで行かなかった話です。

  大秦野      渋沢    新松田    小田原

   8:57━━━×------9:02---------9:10-----------9:25 
        |                |
        ━━━9:32━━━━9:40     |
                 |      |
            ←━━━━9:55-----------9:40

 上の図の点線が、このときの乗務区間でしたが、後述の事情により、実際には太線のようになってしまいました。

 このような事情になった場所は、前の話の一つ手前の、大秦野─渋沢間で、やはり下り電車でした。
 日曜日の朝、その日は晴天で暖かい日でした。相模大野から二両の電車で、トコトコ各駅に停まって、小田原へ向かいました。伊勢原で、あとから来る特急を先に通すために、待避線に入りました。

 しばらくすると、特急が通過して行き、日曜日の朝の下り列車なので乗客は満員でした。その特急の姿が、見えなくなってから発車し、
 鶴巻温泉、大根(おおね)と停まり、大秦野を出発するときの、出発信号機は黄色(注意信号)が点灯していました。
 次の信号機の先に、まだ電車がいるということを意味していました。 

 先に行っている電車は、伊勢原で抜いて行った特急です。特急はどこにも停まらないで、走って行ってるので、どんどん離れているはずです。不審に思いながら、 
 「出発注意」で発車しました。駅の周りにある人家が無くなると、両側は畑で、右手は、その先に丹沢連山が見えていて、その麓の人家もよく見えました。

 次の信号機に近くなるころ、運転士からのブザーが鳴りました。長押し二回─── ───です。
 「前へ来い」という合図です。「了解」という意味で、─── ─── を押してから、前は行きました。
 
 この電車の運転台は、車内から見て、先頭の左側三分の一が、木製の壁で囲まれていて、その中にありました。、
 そしてその残り三分の二に、は鉄製のパイプが、渡してありました。仕切られた壁の右側に付いている、片開きの扉をたたくと、すぐ開き運転士が、 
 「前を見たろ」と、いいました。
 「ウン 見たよ」と、答えました。

 前を見ると、次の信号機は赤(停止信号)で、その先に、特急が停まっているのです。
 その信号機の手前で、電車を止めて、お客さんに、前に特急が止まっていて、先へ進めないから、しばらくこの電車も、ここで止まることになると、とことわり、

 この後来るのは、急行で10分後に来る予定に、なっていますが。こっちの電車の停まっている場所が、大秦野の出発信号機の、受待ちの範囲を、まだ出ていないので、出発信号機は、赤になっているはずです。

 その信号機が、黄色にならなければ、大秦野では、次の電車を出発させないので、追突の心配はないと考え、前に止まっている特急のほうへ、運転士と一緒に歩いて行きました。

 特急の運転士は電車から降りていて、
「動かないんだ。車掌に渋沢へ連絡にいって、もらっているよ」といって、こっちの運転士と一緒に床下の機器を、調べ始めました。

 特急の車掌が帰って来て、
「後続の各停に押してもらって(推進運転)、新松田まで行くように、指示されたよ」と、いいました。
「ええ」といって、こっちの運転士と顔を見合せました。 

 途中で動けなくなった電車は、待避線のある駅まで、後続の電車に押してもらって、その待避線に入れてしまい、あとに続く電車が、支障なく通れるように、することになっていました。

 だが今の場合は、力が違いすぎるのです。
 特急は100トン以上。こっちは小さな電車で、その半分もない。この先渋沢を過ぎるまでは、上り勾配です。この勾配を押上げられるか、渋沢を過ぎると、次の新松田までの約6kmは下り勾配の連続です。この下り勾配を、こんな小さな電車が特急が下り勾配で、加速するのを支えきれるか、まず無理です。 

 次善の策として、こっちの各停の後の四両の急行を、引っ張り出して、2+4=6 この先の上り勾配を六両で押しあげ、下り勾配で加速するのを、くい止めることにしました。 
 
 この急行はもう大秦野まで来て停まっているはずです。この急行を引っ張り出すためには、大秦野の出発信号機を、黄色(注意信号)にすることでした。
 それで、こっちの電車を動かして、目の前にある、次の信号機を越えさせ、特急のすぐ後で止めて急行が来るのを待ちました。

 その時自転車に乗った、一人の男性がやって来て、二人の運転士と話を始めました。
 そして、特急の運転士と二人で、特急の床下の機器を、調べ始めました。 こっちの運転士は戻って来て、

 「検車区の人だそうだ。休みで家いたら、外から帰って来た奥さんが、お父さん電車が止まっているよ。なんかあったのかなと、いったんで自転車を飛ばして、来てくれたんだ。そして調べて見るから、それで駄目なら後ろの電車に、押してもらってほしいと、いってるから、しばらく待とうや」と、いうことなりました。 

 後続の急行がやって来て、後ろで止まりました。降りて来た運転士と車掌に、いままでのいきさつを話しました。
 さらにの急行の車掌には、後方防護(追突防止)を引継ぎました。
 こっちの電車の前まで戻って来ると、特急の運転士が床下から出て来て、右手の親指と人差し指で輪を作り、ニッコリしました。   

 故障が、直ったようです。自分の運転台に戻り、検車掛の指示で、起動試験と制動試験を行い、車外で見ていた検車掛が、右手を上げて、輪を描きました。 OKの合図です。検車掛が、
「乗っていきますから」と言って、検車掛も乗せて特急は走りだしました。

 特急を見送ってこっちも発車しました。新松田で待避線に入れられました。次の急行を待避するためだと、思いました。30分も遅れたのでやむを得ません。そこへ助役さんがやって来て、

 「この先、新松田─小田原間は上下運休、今度二番に来る急行を、小田原まで各停にするから、お客さんに乗換える案内すること、そして急行が出たら、上り四番に入換える」と。指示されました。
 急行を見送り四番に電車を回して、上り新原町田行となって、発車時間を待ちました。

 今度は新松田─小田原間の仕事か無くなりました。現場で30分近く止まっていたので、臨時の休憩時間は、あまりありませんでした。

 上りの急行新宿行が、小田原からここ新松田まで、こっちが運休になった、代わりに途中各駅に停車したため、遅れて到着し、そして出て行きました。
 すぐに、出発時間が来ました。後を追って発車しました。この先本厚木まで途中七駅中、急行通過駅は二駅しかありません。お客さんはいませんでした。それでも、渋沢、大秦野と停まると、お客さんは、乗って来ました。

 伊勢原で待避線に入りました。 出発信号機は赤です。ホームへ出てきた助役さんに、尋ねました。
 「特急は、まだ遅れているのですか。」
 「ウン。大秦野2分(遅れて通過している)だ」。
 「そうですか、わかりました。」 
 この程度ではこっちに影響がないので、安心しました。

 先に行った特急は、湯本に着くと、すぐ上りの特急となって折返します。遅れて行ったので、上りも遅れる恐れがありました。それで、下りを小田原で打切れば、上りは定時に発車できます。だが乗っていた大勢のお客さんを、その先は登山電車では運べません。乗っていたお客さんからも、苦情が出ます。

 それで、上りが遅れるのを承知で、箱根湯本まで行ったのでしょう、折返しの準備は、さぞ忙しかったことでしょう。 客席のクロスシートの方向転換は、手動ですから、でもよくここまで遅れを縮めたものです。
 


 
2011. 10. 21  
 各駅停車 一

 一番長い日

 出勤から退出まで、終日各駅停車に乗務します。

  新宿    経堂    成城   向ヶ丘     大野
 
  9:50─────9:30
   |
  9:55──────────10:20
              |
  10:50──────────10:25   
   |
  10:55──────────11:20
              |
  11:50──────────11:25
   |
  11:55──────────12:20
              |
        12:30───12:25
  13:50─←─13:30
  13:55─────────⇒────────────15:00
  16:10──────────←─────────── 15:55
  16:15──────⇒───────16:50
  17:35──────←───────17:00
  17:40────⇒────18:05
  18:40───←─────18:15
  18:45─⇒─19:05

 日勤の仕業です。出勤は9時で、昼休みは、12時30分からとここまでは、世間並みです。
 ところが、午後は5時間35分の連続乗務で、折返し時間も出先では、転線作業があるので、息をつく暇もありません。
 特急、急行の待避駅での数分の、待避時間で、大事な休憩時間でした。
 また、午前も午後も、同じ電車なので、調子の悪い電車に当たると一日憂鬱でした。

 そんなこともあって、不人気な仕業の一つで、この仕業の順番が回って来ると、年休を取得する人が多かったので、「年休ダイヤ」の一つでした。

 同じような時間帯で、特急の仕業のこんなのがありました。

  新宿    経堂    向ヶ丘        湯本

      回
  13:50─□─△13:35
    |      特
  14:00━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━15:20
           特             |
  17:05━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━15:43
      便
  17:10ーーー17:30
            各
        18:20───18:40
            各 |
         19:05───18:55

 乗務キロは、前者が205.8キロ、後者は201.4キロでした。
 
2011. 10. 20  
 江ノ島線 三

 大雪が降った日

 雪が降ると、この大和─鶴間間は、江ノ島線では一番深いのです。
 ある雪の降る日の夜、江ノ島に到着すると、駅の助役さんから、雪が積もり線路の状態が、悪くなったので、しばらく様子を見るから、相模大野へ戻ることを、待つようにと、状況によって、上りは運休すると言われました。 
 ということは、助役さんは雪のために、ここ江ノ島にこの後来る電車がないと判断し、明日の朝、雪が止んだら、ここから出て行くのに、必要な数の電車が、今あるので、これをいま、出してしまって、その代わりが来ないと、明日困るからということで、出発を、止められたのでした。 それで、足止めされた他の乗務員と、一緒に事務室で、待機していました。

 駅の職員は、事務室に置いてあるストーブには、枕木を割って作った、薪をどんどんくべて、水を一杯に入れたバケツをのせて、湯を沸かしていました。湯が沸くと、水の入ったバケツと代え、湯の入ったバケツを持って、外へ出て行きました。

 この駅には、ポイントの線路が、雪で凍り付かないようにする、融雪器(平たい鉄の箱に油が入っていて これを燃して、そこで発生する熱で雪を溶かす)がないので、湯をポイントにかけて、雪が凍り付かないように、しているのでした。 

 しばらくすると電話が鳴り、助役さんが出ました。電話を置くと、我々に向かって、
 「一番最初に着いたのは誰だい。大野まで行ってもらうから、藤沢でこっちへ出したそうだ。上りのお客さんも、待っているそうだから、どの電車だい」。

 「私です二番です」と言って、停まっているホームを教え、電車のところへ行き、ドアを開けました。助役さんが部下の職員に向かって、
 「大野まで出すから、待っているお客さんに教えて、電車は二番から出すから」といって、ホームに出ました。

 この雪ですから乗る人はいません。藤沢に着くと、お客さんが待っていました。その数は、数えるほどでした。その人達を乗せて発車しました。いつものことですが、お客さんの、多くは新長後(現長後)までで降りてしまい、ここを出ると、お客さんも数人になりました。大和で相模鉄道を、山越えして、また地平に降ります。 ここから線路の両側は、背の高い杉などの森になり、次の鶴間まで続きます。

 前の電車が走ってから、1時間近くたっています。運転士からブザーが鳴りました。
いて
 前に来てほしいという合図です。前に行くと、運転士が仕切りの扉を開けたので、運転台に入りました。すると運転士が、

 「線路が見えないんだよ、よく見ててくれないか」といわれ、前照灯が頼りで、前を見ましたが、線路が見えません。 雪が線路より高く積もっていました。でも、線路は先に走った電車の、車輪が通っているので、その車輪に踏み固められ、線路は周りより低くなっていて 二筋の道が、出来ているはずなのですが、それが見えないのです。

 先に走って行った電車と間隔が開いてしまっていたので、その間に降った雪に消されてしまって、いたのでした。 

 いま、線路の上に、どの位積もっているか解りません。電車の主な機械は床下にあって、線路との隙間は30cmと、いわれていました。もし雪がこれよりも、高く積もっていて、この機械類に入り込んだら、電車は動けなくなります。
 電車は暖地を走るので、防雪対策など施されていません。
 
 この雪の中で故障して欲しくないのです。そんなことに、なりたくないので、異状に気付いたり、発見したら、すぐに停まれるように、運転士はユックリ走らせていました。
 本当は、早く逃げ出したかったんですが。 

 どうやら何事もなく、鶴間に着きました。

 ドアは地上数メートルの上 

 この江ノ島線は、駅のホームの長さは、ほとんど駅が、三両分しかありませんでした。 

 あるとき、大野から江ノ島行の、一番電車に乗りました。この電車は各停で江ノ島へ行き、折返して各停で、新宿まで上ります。あとは東京近郊で行ったり来たりと、朝のラッシュアワーを走ります。それで早朝でお客さんがなくても、早朝から四両で走るので、当然後ろの一両は、ホームからはみ出します。

 大和の下り線のホームも、三両分しかありません。電車が停まると後ろの一両は、ホームからはみ出し、運転台の扉の下は、道路にかかっている鉄橋の上で、線路は地表面から数メートルの上にあります。

 そこは、地面にある道路と、それと並んで走っている、相模鉄道を乗り越えるために、高くなっているのです。この鉄橋が、一番高いところで頂点になっているので、運転台の扉を開けると、体が全部外に出てしまい、チョット怖かったです。
 それで、扉を開けないで、小窓から顔だけ出して、ドアスイッチを操作しました。
 これは、「亀の子」といって、好ましくないと、言われていました。

 この、一番後ろの車両は、相模大野、藤沢、江ノ島以外は三両ホームなので、電車は停まっても、ホームからはみだしているので、お客さんは、乗ることが出来ませんでした。
 この三駅から乗って来た、お客さんには事情を話して、前に乗換えてもらいました。

 

  

 

 



 

 




2011. 10. 19  
 江ノ島線 二
  団体のお客さんは ヒヨコ
 
 江ノ島線では専用の荷物電車が走っていなかったので、荷物はお客さんと一緒に運びました。

 あるとき準急新宿行に、藤沢からヒヨコを乗せました。
 ヒヨコは、厚さ10cm位のダンボールの箱の中に入れられていて、その大きさは新聞紙大で、その一つの箱の中には、各々三十羽位入っていました。
 それを、五箱重ねて、紐でゆわいてあり、その箱の上と、周りは呼吸が出来るように、五円硬貨大の穴が、無数に開いていました。 

 持って来た駅の職員が、ヒヨコは、卵から生まれてすぐは、水も餌もいらないが、早く届けて欲しいといわれたので、乗せていって欲しいと言って持って来て、降ろす駅高座渋谷には、ホームまで取り出るように、電話をしておくからといわれたので、乗せた行きました。 
 その鳴声の賑やかなこと、鳴き止むことがありません。よくたびれないものだなと、

 ヒヨコを降ろす駅、高座渋谷に着きました。ホームには誰もいません。ホームへ出て来るのを忘れたのかと、警笛を鳴らし、しばらく待ちましたが、やはり誰も来ません。それでヒヨコを持って、駅事務室へ行きました。駅事務室は、電車の前の反対側の、下りホームの脇にあります。
 ヒヨコが、何十羽も一緒に旅行するので、『団体』と、言っていました。

 こんなことをしていたので、発車は5分遅れました。
 この準急は、相模大野で、急行新宿行に接続しています。その急行に乗換えると、当然新宿方面には、準急に乗り続けて行くよりは、早く到着します。

 この急行の相模大野の発車時刻は、こっちの準急が、定時に到着してから1分後です。相模大野まで、遅れを取り戻せるせるのは、せいぜい2分位ですので、急行の発車までに大野に到着出来ません。

 この準急には、相模大野で急行に乗換えて、新宿方面に行く、お客さんも乗っているので、準急が着くまで急行が発車するのを、待っていて、もらわなければなりません。

 このことを相模大野の駅に、頼まなければなりません。この準急には大野で急行に、乗換えるお客さんが乗っているので、準急が到着するまで、急行の発車を待たせることを、紙に書いて、鶴間で駅の職員に頼みました。
 ここは駅事務室が、後ろにあるので、 お客さんが乗り降りしている間に、頼みに行きました。

 この結果いかにと、大野のホームが見えるところまで、電車がきたとき、窓から顔を出してホームを見たら、 急行は出た後でした。
 上り方面に行く、お客さんには、謝ってそのまま、この準急に乗って行って、もらいました。

 ローカル区間のラッシュアワー

 この鶴間で、こんなことがありました。この駅の近くに、大きな工場があり、朝、一つ手前の大和で、相模鉄道からも、上り新原町田行に、大勢乗ってきます。

 たった一駅間ですが、そのお客さんを運ぶのには、三両でもきつく、やっとドア閉めて、発車させていました。
 それが二両になったときが、ありました。二両では、大和で乗れないお客さんが、出てしまうのです。

 東京近郊と違い次の電車でと、いうわけにはいきません。こんな心配をしながら、どうしようかと思っているうちに、大和に着いてしまいました。

 大和に着いてドアを開け、お客さんが乗込むと予想通り、車内はすぐ満員になり、ホームにはまだ乗れない、お客さんが、少なからずいました。

 そのお客さん達には、乗れそうなドアに、まわってもらいましたが、それでも駄目でした。それで、一駅間だからと、 残ったお客さん達には、後ろの運転台にを乗ってもらい、最後に乗ったので、体半分は車内に入れず、握り棒をシッカリ握りしめていました。

 傍にいたお客さんも、体をつかまえていてくれました。そのままで、次の鶴間まで走りました。
 終了点呼のとき、三両でも乗りきれないのに、二両に減らすのは困ると、苦情をいいました。
 

  

 

 



 

 




2011. 10. 18  
 江ノ島線 一 
 これから、しばらく、江ノ島線ことを書きます。

 藤沢─江ノ島間の折返電車 

 今日も日勤です。朝出勤して夕方家へ帰ります。
 ホームで、朝の輸送を終え、新宿から帰ってくる回送電車を待ち、それを引継ぎ、そのまま回送で大野まで行き, ここで、後ろの二両を切放し、四両から二両と身軽になり、また回送で藤沢まで行きます。

 大野を出ると江ノ島線に入ります。車庫の脇を左へ大きく曲がり、電車が、南に向くと、カーブが終わり直線になります。

 ここに来ると、運転士は、モーターに送っていた電気を、送るのを止めます。この先は、緩い下り勾配が続くので、モーターに電気を送らなくても、走って行きます。途中大和で相模鉄道を乗りこえるために、急な坂を登るので、スピードは落ちますが、すぐに下り勾配になるので、惰力ままで、下り勾配でまた加速して、止まらずに走って行きます。

  それが六会(むつあい)の手前まで続きます。ここから、緩い上り勾配になり、これが長く続くので、電車はやがて止まってしまうので、運転士はその前に、またモーターに電気を、送ります。

 六会を過ぎると下り坂が続き、トンネルをくぐり台地から、平地に降りて来ます。トンネルの出口は、山の中腹にあって、そこからは、遮るものがなにもなく、相模湾がよく見えます。台風が来ると、風当りが強く電車が、押戻されそうになることもありました。

 線路はどんどん下っていって、やがて海は、見えなくなり電車は、藤沢本町を通って、国道1号線をくぐります。

 国道1号線をくぐると、今度は緩い上り勾配になって、東海道線の上を通り、左の大きく曲がって、地平に降りて来て、東海道線と並んでいる、藤沢に入ります。
 藤沢に着くとドアを開けて、お客さんを乗せます。ここ藤沢から、三つ目の江ノ島まで各駅に停車してお客さんを運びます。所要時間は8分です。

 藤沢は行止り駅なので、運転士と乗務位置を変えます。 

 江ノ島に着くと、藤沢行になって折返します。そして藤沢に着くと、また江ノ島行となって折返します。
これを15時ころまで、六回繰返して、各停で大野へ戻ります。

 この、片道8分の折返しの繰返しを、ダイヤ図で見ると、鋸状になっていて、電気図面の『抵抗器』の、記号に似ていることから、『江ノ島の抵抗』と、呼ばれていました。

 この藤沢─江ノ島、三駅間、片道所要時間8分の、短区間の電車が運転されている、わけは、
 東海道線との、乗換を便利にすること、藤沢─大野間に比べて、お客さんが多いということでした。

 ここ江ノ島線は昼間時、電車の運転は、成城まで各停、ここから通過駅があって、準急らしくなる新宿直通の準急と、町田までの各停が交互に、30分おきに走っていました。

 一方藤沢を通っている東海道線は、遠く鹿児島までも行く急行などが、走っているので、藤沢に停まる電車の間隔は一定していませんでした。

 それで、乗換えるとき、乗りたい電車が、出た後に着いたり、長く待たされたりして、なんとかならないかと、苦情が出ていました。
 この苦情の多くは藤沢─江ノ島間に住んでいて、東京、横浜方面に用がある人達でした。
 
 この対策として、藤沢の停車時間を、乗務員の乗務位置の交替のために、2分あるのを調整して、下り江ノ島行は、東海道線の下りからの、お客さんを乗せてから、発車することに、
 上り江ノ島発は、東海道線の上りが発車する前に、藤沢に到着するよう、変えました。
 このため藤沢の停車時間が、長くなり、江ノ島での折返時間が短くなり、乗務員には不評でした。
 また根本的な、解決にはならなかった、ようでした。

 この区間は、こっちが遅れて、東海道線に、間に合わないと、苦情いわれ、東海道線が遅れたとき、待っていないと、苦情が出る、特異なところでした。

 午前中は二往復で昼休み、駅の休憩室で弁当えを食べました。駅の職員がお茶を入れてくれました。そしてあとは自分でといって出ていきました。

 午後からの残りの四往復は、二回も終わると飽きて来ます。藤沢の折返し時間は、短かったのでに着くと、すぐに戻れました。一方江ノ島では、タップリ時間がありました。

 本鵠沼

 先日、朝江ノ島から藤沢行に乗って二つ目の、本鵠沼でこんなことがありました。朝の新原町田行で着いたとき、待っていたお客さんの中の一人が、自分の腕時計を突き出して、 

 「この電車は遅れているぞ、東海道に間に合わないじゃないか」と、いって怒鳴られました。
 「すいません」と謝りました。そこへ、別のお客さんが走って来て、やはり腕時計を見せて、

 「オイ早すぎるぞ」と、また怒鳴られました。これが、先に怒鳴ったお客さんの耳にも入ったようなので、怒鳴られただけでは面白くないから、並んで立っていた二人に、 

 「こちらのかたは、遅れているとおっしゃるし、 あなたは早いとおっしゃる。どちらが正しいのですか」と、尋ねました。 私も含めて三人共、正しくなかったのかも知れません。

 
    

 

 
2011. 10. 17  
 夕方の急行 四 
 昼間の急行と、夕方の急行の所要時間に違いがあります。この二つの話に時間差があり、この間で、特急と急行はスピードアップが行われたのでした。

 先にも書いたように、当時の目標は、新宿ー小田原間を、特急で1時間、急行で1時間20分でした。
 
 特急は、SE車が4編成が充当され、急行は、駆動装置が、釣掛け式からカルダンで、付随車なしの全電動車方式に、制動装置が、空制車から、電空併用車に変わった車両で、在来車に比べて、加速減速の性能がよくなった車両(俗称電制車)が、一列車4両で、11編成になり、この数は急行を30分間隔で、運転しても余る数でした。

 それに、線路や変電所の状態もよくなったので、特急と急行のスピードアップが行われ、その結果最初に書いたように、特急は、小田原を出ると、東海道本線の「つばめ」と並ぶように、なったのでした。

 新宿ー小田原間の所要時間が、どのように変わったかというと、
 特急は、1時間15分から、1時間04分に11分短縮、平均速度は途中無停車で、66.2km/hから77.6km/hに、
 急行は、1時間30分から、1時間23分に07分短縮、平均速度は途中10駅停車で、55.2km/hから59.8km/hとなりました。

 また、折返し時間も短縮して、
 特急は、新宿が30分から25分、箱根湯本が30分から23分に、
 急行は、両駅とも、15分から7分になり、一回転が4時間から3時間30分になり、30分間隔の運転でしたので、所要列車本数が、八本から七本に一本減少しました。

 特急の、箱根湯本の折返し時間の短縮は、一つ手前の入田駅構内の有効長を、特急同士が交換が出来るようにして、生み出されたもので、これによって、これによって、特急の運転間隔が、休日の朝のように30分の時間帯でも、急行も30分間隔で、箱根湯本まで乗入れることが、出来るようになりました。

 しかし、困ったことも当然起こりました。
 急行の折返し時間の、短縮です。特に新宿です。夕方の急行その後で、多客のため相模大野ー新宿間で六両で運転することになり、相模大野で二両増結して、上ってくるよになりました。
 この増結で2分取られ、新宿の折り返し時間は、5分になってしまい、下りの相模大野での、切放しとして与えられたの時間は1分では、困難でしたが、その先での高加速、高減速の俊足が生きたようでした。

 ところが、このスピードアップは、運転士にとっては、リハーサルなしの、ブッツケ本番でした。事前の運転事時間の具体的な変更は、当然知らされていたので、頭の中では理解していたようですが、改正前に乗務したで、列車で試行は出来ませんでした。

 改正日以降は、遅れてはいけないということで、力行出来るところは、全て力行したので、以前より振動が激しく、運転士が新しい運転時間を体得するまでは、後ろに乗っているのも、大変でした。

    新宿       小田原        箱根湯本
   特急 急行    上り 下り     1番線 2番線
        特 ⇒
  ─ー8:00━━━━━━━━━9:15━━━━━9:30      
 |        急 ⇒         |
 |    8:05──────△9:35     |  
 |      特 ⇒           |
 | 8:30━━━━━━━━━━9:45━━━━━━━━10:00
 |      特 ←           |    |
 -ー11:30━━━━━━10:15━━━━━━━10:00  |
 |       急 ⇒                |    
 | ーーー8:35───────10:05───10:20    |
 | |             回 ←  |     |        
 | |        10:35△────□─────10:20  
 | =     特 ⇒          |              
 |  9:00━━━━━━━━━━10:15━━━━━━━━10:30 
 | =      急 ←        |     |
 | |  11:50───○10:20     |    | 
 | |      急 ←        |     |
 | ーーー12:20────10:50─────10:35   |      
 | |                      |
  |  =    特 ⇒               | 
 ーー12:00━━━━━━/         特 ←   |
    =            /━11:15━━━━━━━11:00
   |      急 ⇒ 
   ーーー12:35─────────/         
    
 上図は、スピードアップ前の、特急と急行の様子が、書いてあります。
 朝、新宿を特急が、8時00分と、8時30分と30分間隔で発車しています。
 そのため、8時05分に、発車する急行は、箱根湯本のホームは、二線しかないので、箱根湯本には行くこと出来ず、小田原で打切りになっています。

 特急は、新宿を8時0分に発車すると、11時30分に戻って来て、4時間後の12時0分に、再度、箱根湯本に向かって、発車しています。

 急行は、8時35分に発車すると、12時20分に戻って来て、やはり4時間後の12時35分、再度、箱根湯本に向かっています。

      新宿      小田原   入生田   箱根湯本
     特急 急行   上り 下り      1番線 2番線
         特 ⇒
 ーーーー8:00━━━━━━━━━9:04━━━━━━9:20
 |         急 ⇒            |
 | ---ー8:05───────9:28─────────9:43 
 | |     特 ⇒           ← |  |           
 |  | 8:30 ━━━━━━━━ 9:34━━\/━━9:43  |      
 | =     特 ←          /\      |
 ーーーー11:05━━━━━9:59━━━━/   \━9:50 |
 | =       急 ←            |  |
 | |ーーー11:28───10:05────────────9:50  
 | =    特 ⇒              |
 ----11:30━━━━━━/
   =       急 ⇒
   |ーーー11:35──────/

 上の図は、スピードアップ後の、特急と急行の様子です。特急同士の交換を、箱根湯本から、入生田に変えたことにより、特急が30分間隔で運転されても、急行も30分間隔で箱根湯本まで、行くことできるよSになりました。

 また、特急も急行も、一回転が、4時間から3時間30分に、30分短縮され、普通車4両は他に転用出来るようになりました。

 特急は当分の間は、SE車4本だけでしたが、多客時には、部分的に30分間隔で運転されました。


  特急と急行の違いについて、
 当時新宿ー小田原間の、普通運賃は、170円でした。特急に乗るのにはさらに特急料金として、130円が必要でした。
 
 特急は、途中無停車で沿線のお客さんにとっては、ただ眺めるだけの、縁のない列車でした。
 特急が、走る時間が、限られていました。

 その反対の、役目を果たしていたのが急行でした。余計なお金はいらないし、沿線の主な駅には停まるし、朝から夜まで、30分間隔で走って、箱根湯本まで足を延ばしていました。
 その車両の座席は、座面が低く、奥深いので、座り心地がよく、長距離を走るので、便所も付いていました。

 

 
2011. 10. 13  
 夕方の急行 三
 
  事故報告書
 
 「夕方の急行 二」で、小田原ー箱根湯本間が運休になったときの、「事故報告書」の概要です。
 用紙の大きさは、A4判横書きでした。
 
 用紙の中央上部には、横書きで、「事故報告書」と書いてあります。右肩には「発生年月日」をかき、その下の報告者の、所属、職氏名を書き、印を押印します。

 次からは表になっていて、左から、該当列車の運用番号、列車番号、編成全部の車両番号(記号は省略)、運転士の所属、運転士の氏名、そして、本文を書きます。

 「急客第57列車は、渋沢を定時に発車し、新宿起点○○.○km付近を走行中、前途線路上に障害物を発見し停車。列車より降車し、調査したるところ、線路脇の材木店の材木が、台風の風により、飛来し散乱したものと判明。同店の社員と協力し、当該材木を、線路脇に撤去し、後事を同材木店社員及び、駆せ付けたる新松田駅の駅職員に託し、前途支障なきを、確認し、現場を発車し、新松田には10分延着。

 同駅にて報告書添付の同駅発行の、運転通告券第○○号を受領、同駅10分延発。小田原10分延着。
 前記通告券により、小田原ー箱根湯本間運休。

 折返し第70列車は、箱根湯本ー小田原間運休、小田原定時発車、以後異常なし」。

 できるだけ、簡単明瞭といわれていました。わけがわかからないのを書くと、何度も書き直しをさせられました。

 

  
2011. 10. 12  
 夕方の急行 二

新宿    経堂  大野    新松田   小田原    湯本
    各
17:25───17:06
       急57
17:35──────────×ーー18:48ーーー18:58ーーーー19:13
             |               |
              ━━━19:08━━━19:18    |
                急70   |      |
          20:23━━━━━━━━━19:35ーーーー19:20
         (以下忘却)
 
  小田原─箱根湯本間 運休

 またあるとき、この新宿17時35分発急行箱根湯本行に乗務した日は、台風が来ていて風は強く、大雨が降っていました。

 雨が降ると、ホームで待っているお客さんは、屋根のあるところだけにしかいません。どの駅も屋根が短いので集中してい、晴天のときより、乗って来るのに時間が、かかります。遅れたら、特に停車時間の少なく、お客さんの多い夕方の急行は、遅れを取り戻すことは、難しくなります。遅れが増えないようにするのだけが、精一杯です。 
 
 この電車が渋沢を発車し、新松田の向かいトンネルを出ると、並んで流れる四十八瀬川は、台風で、水面は高くなり、濁流が渦巻いて流れていました。この川が、氾濫していなければよいのだがと、川を眺めていました。

 時折、短い警笛が鳴りました。運転士が、警戒のために見まわっている、保線区員達に、電車が近付いて来たこと、台風の中、警戒していてくれて、有難うという意味もある、合図でした。

 雨は小降りになったようです。まだ風は強かったです。
 線路の勾配が緩くなると、左側を走っていた県道が、線路から少し離れ、その間には人家があるようになりました。 
 すると警笛一声、電車がゆっくり停まりました。前を見ると、運転士が電車から降りて、前へ歩いて行きます。 前でなんかあったんだろうと、前照灯を点灯して(追突防止のため、後方防護)、この後ろを走っている電車が、ここにくるのは15分後であることを、ダイヤ図で確認して、電車を降り前へ行ってみました。

 行ってみると、線路上に材木が散乱していました。線路の左側を通っている、県道との間に材木店があって、この材木店は、県道側が事務所と住居で、線路側が商品の材木置場になっていました。その材木が風で飛ばされて、線路に散乱たのでした。これらを片付けなければ、電車は走ることは、できませんでした。

 運転士は、近い新松田の駅に連絡してくるからと言って、店の人と一緒に事務所へ行きました。電話を借りに行ったのです。

 こっちは電車に戻り、風で飛ばされた材木が、線路に散乱していて、電車が通れないので、これを片付けて、通れるようになったら、発車するからそれまで停まると、いうことを車内に放送して、また現場へ戻りました。

 現場へ戻ると、運転士が駅へ電話したら、電話に出た駅の助役さんが、
 「どの位遅れるのか」と聞いてきたので、
 「5分や10分じゃ無理です」と、運転士は答えたそうです。すると、
 「そのまま、切らずに待っているように」と言われて、待ってっていると、助役さんは、
 「急行は小田原で打切り、下り上りとも小田原─箱根湯本間は運休、上りの急行は小田原から時間通り発車すること」と指示されたそうでした。そして、

 「後続は渋沢で抑えた」とも、言われたそうでした。 それから、まだ小さな雨の降る中、店の人達や運転士と、線路の中にある材木を、片付け始めました。
 
 散乱した材木を線路脇にどけて、電車が通れるよになると、後は店の人に頼んで、電車を発車させました。

 途中、駅からようすを見に来た、運転士が電車を停めて話していました。

 そんなことで、新松田に10分遅れて到着、運転通告券を受取り、すぐに発車しました。もう焦ることもありません。酒匂川を渡ると、なにも遮る物がない田んぼの中を、小田原へ向かって走り始めました。

 新松田でもらった、運転通告券には最上部、中央部に、
 「運転通告券」と書いてあり、その左側には発行番号が、右に発行年月日、発行時刻、その下左側には、
 「第57列車乗務員殿」とあり、右側には「発行者新松田駅長」とあって、駅長の印が押印されていて、大きさはハガキ位でした。
 
 その下が、本文でそれには、
 「1.第57列車は小田原ー箱根湯本間運休、小田原到着客扱い終了後は、閉扉の上来ない運転士に引継ぐこと。  2.折返第70列車は箱根湯本ー小田原間運休、小田原より所定時刻で運転のこと」と。書いてありました。
 
 運転士が、新松田の駅の助役さんから、いわれたこと同じです。口頭通告は,いい間違い、聞き違いが多いので、こと運転に間することについては、間違いが起き易いので、禁止されていました。

 車外は雨は止んだようですが、風はまだ強く、電車は押し戻されそうです。運転士は遅れを気にすることもなく、電車を走らせていました。 

 小田原には10分遅れて到着しました。遅れたために、指示された通り、湯本へは行かず、新宿へ戻ります。

 それで、臨時の休憩時間が発生しました。その時間は、小田原─湯本間往復の所要時間から、遅れた時間を、差引いた時間です。
 このときは、小田原─湯本間往復の所要時間が37分、遅れた時間が10分、折返し時間が10分、臨時の休憩時間は17分でした。もし予定通り箱根湯本まで、行ってればこの休憩時間はありませんでした。

 上図はこのときの、様子を書いたものです。
 点線区間の仕事が無くなり、太線区間に変わったのでした。
 この分、給料から差引かれることは、ありませんでした。もちろん終了点呼のとき、事故報告書を作成し、内勤助役さんに報告します。


  







 

  

 

 

 

 



 

    



    
2011. 10. 12  
 夕方の急行 一

新宿   経堂 登戸  向ヶ丘 大野 大秦野  小田原  湯本
    各
17:25──17:06
     急                   
17:35━━━━━17:52━17:53━━━━18:35━━18:58━━19:13
                     急     59  |
                20:23━━━━━19:35━━19:20
               (以下忘却)
      急  →  
15:35━━━━━━━━━15:52━━━━16:35━━16:58
                          59 (以下略) 
          
  登戸多摩川 臨時停車 

 下りの急行のうち、夕方のラシュアワーに走る数本は、登戸多摩川(現登戸)に停車します。
 ここは、南武線との乗換駅で、南武線沿線の工場から、下り方面に帰って行く、お客さんのために停車します。
 
 このための時間が必要となり、当然停まらない電車と比べると、遅くなるのですが、終端近くの小田原ー箱根湯本間は単線で、そのまま行くと影響が出ます。

 その対策として、登戸停車で必要とした1分は、向ヶ丘は近いので、そのまま1分遅れで発車し、この先の停車駅、新原町田・相模大野・本厚木・伊勢原・鶴巻温泉・大秦野の六駅の、停車時間を、10秒づつ縮めて、遅れた1分を生み出し、
大秦野の発車からは、停まらない急行と同じのするという、辻褄合わせをして、登山線には、形の上では、迷惑がかからないように、なっていました。だが実情はというと、-------
 
 図は、登戸多摩川に停まる電車と、停まらない電車の運転時間の対比です。

 今日の出勤は夕方、今夜は泊りです。昼食は家でとってから出掛けました。一昨日は、仕事が終わったのは朝だったので、家へ帰ってから昼食をとりました。そして昨日は、一週間に一度の休み(週七日制)週休日でした。今日から六日間は仕事です。

 このように週休日を挟んで、自分の時間が、日勤の人より長いのですが、出勤が夕方だから、仕事は深夜まであります。
 まず各停で新宿まで行きます。経堂で向ヶ丘から来た、電車を引継ぎます。ここまで乗務して来た同僚は、

 「やっと終わった、電車は異状ないからね。いまから乗り始めだと終わるのは夜中だね。御苦労さん」といって、降りて行きました。

 新宿へ着くと、ここまで乗ってきた各停は、また各停で折返し、この電車の直後に新宿に着いた急行は、また急行箱根湯本行となって、折返します。一方車掌は、各停で来た車掌は急行に、急行で来た車掌は各停にと、乗務する電車を交代します。ホームを変えるために、お互い捜しながら歩いて行き、出会ったところで互いに、

 「異状なし。よろしく」と、声を交わしそれぞれが、次に乗務する電車に向かいました。
急行箱根湯本行の発車は、17時35分、夕方一番混む電車です。反対側のホームに、特急が着くと発車しました。
停車駅が、昼間の急行に比べて、一つ多く登戸に停まります。

実情は、登戸からは、南武線沿線の会社や工場から帰って来る、お客さんが大勢乗って来るので、決められた時間には、到底発車出来ませんでした。さらにお客さんが、乗り終わったので、ドアを閉めようとすると、南武線の電車が着いたのか、またお客さんが、階段を駆け上がってきます。 

 発車して時計を見ると1分遅れています。次の向ヶ丘で、また時計を見ると、登戸多摩川に停まらない急行に比べ、2分遅れていました。

 ここまで、大勢お客さんを乗せたので、今度はこの先の駅で、乗っているお客さん達が、降りるのに時間がかかります。次の町田では横浜線から、大野では江ノ島線から、本厚木では相模鉄道の乗入れて来た電車から、乗換のお客さんが、また大勢乗って来ます。

 油断すると、詰められた停車時間では、遅れはが増すばかりです。小田原で、湯本に向かって、定時に発車出来れば、それでよしと決めて、この先の仕事をしました。これならば、遅れて登山線に迷惑を、かけないからと。

 それでも小田原の発車時間に、1分遅れて到着しました。登戸多摩川に停車するために必要な時間は、小田原の停車時間が、充当されてしまいました。
 
 小田原到着時刻が18時58分が、発車時刻の18時59分になったのでした。
 
 直ぐに発車したいところですが、またお客さんが、大勢乗って来ます。このお客さん達は、この先箱根湯本までの途中三駅は、前から二両目しかドアを開きませんので、そこに集中しています。遅れが増え、2分遅れて発車しました。

 箱根湯本からの帰り、上り急行新宿行の、お客さんは数人でした。
 こんな時間になると、行楽帰りのお客さんもいません。
 
 小田原からは、帰りの通勤客で座席吊革共に一杯になりましたが、新松田、渋沢、大秦野と、どんどん降りてゆき、大秦野を過ぎると、座席もちらほら空いてきました。乗る人も少くなって来て、こんな様子が相模大野まで続きました。その大野で交代、今日最初の休憩です。

 相模大野の車掌区で次の乗務までの間に、持ってきた弁当で夕食を採りました。
2011. 10. 11  
 昼間の急行 三 
 
 帰りの 急行 新宿行
 
 ホームの反対側に特急が着きました。あと5分で新宿に向かって発車します。
 車掌の立っている後ろに、改札口があり、登山電車のホームがあります。
 特急電車の扉を開けた、走る喫茶室、日東紅茶のウエイトレスが、降りて来るお客さん一人々々に、頭を下げて挨拶をしています。この風景に見惚れているうちに、

 出発信号機が赤から緑に変わりまし。発車です。小田原まで走る登山線内は各駅に停車します。カーブも多いし、他人の屋敷の中なので、遠慮したかのように、恐る恐る走っています。
 小田原までの間にある駅では、前から二両目だけ乗り降りができるので、後ろはお客さんが、行楽客が帰り始める前なので、ここ箱根湯本では数人乗ってきた以外に、後ろの車両には小田原まで、乗って来るお客さんは、いませんでした。

 三つ目、箱根板橋で下りの箱根湯本行と、交換して小田原に着きました。
 小田原に着くと、登山線の車掌さんは降りました。お互いを敬礼を交わして、車掌さんは通りすぎて行きました。
 
 小田原を出ると、電車はいままでと違って、スピードを上げどんどん走り出しました。
 車内に入ると、座席はふさがっていました。立っているお客さんもいました

 お客さんから、乗越しの精算を頼まれました。差出された切符の発駅は、熱海、沼津、伊東など近くから、遠くは大阪市内など、西方面からのがいろいろありました。なかには知らない駅も、ありました。

 困ったのは、切符の着駅が小田原の手前の駅になっている切符です。国鉄線内に空白がある切符です。この区間の運賃が解らないので、降りる駅で精算するようにいいました。

 新松田、渋沢、大秦野、鶴巻、伊勢原、本厚木と、駅に停まるたびに、お客さんが乗ってきて、だんだん混んできました。電車は快調に進み、走る電車の振動が、すきっ腹に応えてます。

 相模大野で交代、今日の大きな仕事、は終わりました。時計を見ると午後2時を過ぎていました。遅い昼食は、今朝家を出るとき待って来た弁当でした。

  準急 新宿行

 1時間半の休憩後、江ノ島から来る準急新宿行を引継ぎます。乗っていたお客さんのうち、多くの人は、同時にホームの反対側に到着した、急行新宿行に乗換えてしまい、準急は座席も空いてしまいました。

 準急といっても、成城までは各駅に停まります。四つ目、柿生(かきお)で、待避線に入りました。特急の通過待ちをするのです。5分停車です。
 駅の事務室に行って助役さんに尋ねると、特急は町田を定時に通過している、とのことでした。

 やがて特急が、警笛を鳴らして通過して行きました。この特急が進んで行った先、線路が山にぶつかる手前で、右に曲がるところにある、次の信号機(閉塞信号機)があって、特急がここを通過すると、準急が停まっている待避線から、駅を出て行く信号機(出発信号機)が赤から、黄色(注意信号)に変わり、発車しました。

 続行する電車は、先行する電車が次の信号機を通過するまでは、待っていなければならないのです。ところが、向ヶ丘を過ぎると駅間距離が長くなり、それに連れて信号機の間隔も、長くなっていました。待避する列車は、後続する通過列車に影響を、及ぼさないように、早いうちに待避駅に入り、今度は通過列車が離れてしまったら、発車するようになって、いるのでした。

 それで停車時間の5分あるのです。
 ところがこの準急は新宿に着くと、また準急で折返し、この下りも柿生で特急の、通過待ちで5分停車します。 この柿生の、待避に必要な停車時間は、新宿での折返時間を短縮して、捻出していました。 
 その結果、新宿での折返時間は3分しかありませんでした。新宿に定時に着いても忙しいのです。

 向ヶ丘を過ぎると、車内はだんだん混んで来ました。成城を出ると、準急になって、経堂と下北沢だけに停まって、経堂と、東北沢で各停を抜くので、向ヶ丘以東は、急行が停まらないこともあって、立っていても、混んでいても、早く着けるからと、数分の辛抱ということで、人気が出てきます。
 午後になると、学生さんが多くなり、油断すると遅れてしまいます。
 
 新宿は定時に到着、後ろの運板を反転して、三両の車内を忘れ物は無いか、網棚を点検しながら前、今度は後ろの運転台に入りました。そして、、車掌鞄や手旗を所定の場所に置き、ドラムスイッチと車掌スィッチに、鍵を入れて、これで、準急江ノ島行として、出発準備は終わりました。
 時計を見ると、もうすぐ発車時間でした。
 いよいよ今日は終わりです。二つ目経堂で交代して、これで今日はうちに帰ります。 



 



 



 


2011. 10. 11  
 昼間の急行 二 

  昼間の急行 箱根湯本行

 新宿で、折り返し時間、15分が過ぎて、11時5分に急行箱根湯本行は、発車しました。
 途中小田原まで、十一箇所の駅に停まって、1時間30分、終点の箱根湯本までは、この間三駅停まって、1時間45分かかります。

 新宿を出てすぐの、案内放送の内容は、終点までの停車駅と、相模大野から先の急行の通過駅へ行くのには、新原町田で、江ノ島線の各駅に行くのには、相模大野で乗換えること、小田原、箱根湯本の到着時刻など、

 そして、次の停車駅は下北沢で、井の頭線に乗るお客さんと、その次の停車駅は向ヶ丘遊園で、その間の通過駅で降りるお客さんは、次の下北沢で、あとから来る各駅停車に乗換える、ことなどです。
終わって外を見ると、電車は次の南新宿を通過してしまいました。

次の停車駅、下北沢は井の頭線から乗換えてくる、お客さんが乗ってきます。連絡階段が前にあるので、前のほうでお客さんが大勢乗っています。急行のお客さんは、ここ下北沢から向ヶ丘までが、一番多いのです。

 下北沢を出ると、客室内に入りました。大きな声で、
「次は、向ヶ丘遊園、向ヶ丘遊園に停まります。向ヶ丘遊園から新原町田まで停まりません」と、言って前へ歩いて行きます。

 お客さんのなかから、当時の券売機は初乗り区間の、拾円区間しか発売出来なかったので、乗越しの精算の申出でが、少なからずありました。そのほとんどが、新宿と渋谷からのでした。なかには新宿や渋谷には国鉄との間にある、連絡改札口をどう通って来たのか、国鉄線内だけで、新宿や渋谷に届いてない物、新宿や渋谷までの国鉄線だけの、切符を出したお客さんもいました。

 夢中で補充券を切っていて、ふと気が着くと 電車は多摩川を渡り始めました。もうすぐ向ヶ丘遊園に到着します。それで後ろに戻りました。

向ヶ丘遊園を発車しました。次は新原町田に停まります。この間にはトンネルがあります。客室内の照明を、点灯するスイッチは上り側の、運転台にあります。それで下りは車掌が、上りは運転士がこのスイッチを操作します。

 トンネルに入ったとき、客室内が真っ暗にならないように、室内灯を点灯して、客室内にまた入りました。先頭車の運転士の後ろまでいきました。

 相模大野で、江ノ島線にお客さんが乗換えて行ったので、車内で立っているお客さんも、少なくなりました。

 相模川を渡り、本厚木を過ぎると、右手に丹沢連山か見えてきて、しばらく並んで走ります。
 時折、上り電車とすれ違います。後ろを向いて敬礼をします。上り電車からも、敬礼が、返ってきます。
 それが、仲の良い同僚のときは、お互い前照灯を点滅させたりもしました。
 伊勢原、鶴巻、大秦野と停まると、乗るお客さんよりも、降りるお客さんが多く、車内は空いてきました。

 渋沢を出て、トンネルを二つくぐります。次の新松田までは、下り勾配が続き、駅間は全線で最長で6.3km、8分かかり、ここだけが、隣の駅まで二十円でした。
 昔この区間を、5分で走破した運転士が、いたという話がありました。

 ここは、四十八瀬川と並び、その川が左右に蛇行を始めると、線路はこれを交わすために、左に、右に、カーブして、この川を鉄橋で渡って行きます。川が線路から離れて行くと、周囲の山々は遠くなり、線路の周りは平地になり、人家もぼつぼつ現われて、御殿場線をくぐると新松田に着きます。
 
 新松田を発車し、酒匂川を渡り、左に大きくカ-ブすると、直線区間に入ります。ここでは深夜に電車の、性能試験が、行われました。
 右手には、箱根外輪山、ひときは高いのが金時山、そして明神ヶ岳、明星ヶ岳と並び、その上から富士山が顔を出しています。一番すばらしいのは、冬です。雪を冠った姿です。夕方、夕日を背にした姿もいいものです。
 左手は、酒匂川の堤に植えられた、松の並木が続きます。

 新松田から小田原までは、新松田通過の特急が8分、新松田停車、途中四駅通過の急行が10分、各駅停車が15分かかります。
 新松田を出ると、また客室内に入ります。座席もちらほら空いています。
 箱根登山線、東海道線への乗越の精算の、申し出でがあり、それを処理します。
 箱根登山線は、ケーブルカーの終点早雲山まで、東海道線は、沼津、伊東まで、発行できました。

 蛍田を通過すると、狩川を渡るために線路は、高くなります。すると左手前方に、日に照らされた、相模湾が見えます。川を渡り終わると、すぐに切通しに入り、坂を下り、海は見えなくなります。足柄を通過しました。後ろへ戻ります。もうすぐ小田原です。
 小田原駅に入る手前、左側に高い塀で囲まれた少年院があります。

 小田原から湯本までは、箱根登山鉄道線の線路を走ります。全区間単線です。中間にある三駅で上りの電車と下りの電車は、行違いをします。駅構内の線路は上下両方の電車が停まる範囲は線路が二本敷かれいて、その長さは四両分ありますが、ホームの長さは二両分しかありませんでした。

 それで四両で入って行くときには、登山線の車掌さんが、前から二両目に乗ってドアを開け、閉めして、お客さんを乗り、降りさせていました。この様子は、車側灯の、点滅で確認出来ました。
 彼等は下りは小田原で、上りは湯本で乗るとき、片手を上げて、乗って行くよと、合図をしてくれました。

 小田原を出ると、東海道線と並んで走ります。トンネルを出ると、左手に小田原城が見えます。やがて周囲が開けてきて相模湾が見えて来ました。電車は大きく右にカーブして、海を背にして箱根を目指します。

 小田原の次、箱根板橋を発車すると、勾配を上り再び国道1号線を越えると、一番左側は箱根連山から流れて来る、早川、1号線、そして線路と並びます。

 次の風祭は、外カーブなので、後ろからでは、前が見えないので、客室に入り前に行き、座席にひざまずいて、窓から顔を出して、ドアを開けた車両の、車側灯を確認しました。
 ここで、上り新宿行の急行と交換します。
 
 入生田(いりうだ)を出ると、上り千分の四十勾配が連続します。最急勾配です。右に左にカーブして湯本まで続きます。いよいよ山登りが始まりました。

 箱根湯本に着きました。新宿から1時間45分かかりました。
  
 

 

 

 
プロフィール

oerxx

Author:oerxx
 若いころ、鉄道で働いていました。そのときからの、見たこと、聞いたこと、考えたことなど、読んだ本のことなどを、書いていきます。
 
 ときには休むこともありますが、少しずつ書いていきます。

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